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1/3(金)「寝過ぎ」と、思いも寄らない「訃報」について。

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icon_zamma.jpg1月3日(金)32時41分
第1975回


有楽町付近の火災で、
東海道線のダイヤが大幅に乱れ、
正午に大船観音で、
待ち合わせをしていた、
ナカヤマと横浜在住のカズミに、
会えたのは、
13時過ぎとなってしまった。

年末にお願いしておいた、
お札をいただき、
お参りをしてから、
いつもカズミと行っている、
駅ビル7階のお蕎麦屋さんに行った。

カズミは、
静岡の実家から、
老いた両親を呼び寄せ、
父親を見送ったあと、
目下母親を自宅介護中の、
介護歴十数年のベテランだ。
ナカヤマは、
母親を郷里のお義姉さんに、
委ねているとは言え、
いつも母親と義姉のことを気にしているという意味では、
「介護人仲間」とも言えるので、
今日から我ら3人を、
『トリオ・ザ・介護人』ということに命名した。
(介護人って、英語だと、
「a person who looks after an old person」
となるみたいですけど、
長過ぎて語呂合わせいならないんですよね)


先月初めには、
「ダメかもしれない」と思っていた、
カズミ母は、
久しぶりにショートステイに行った途端、
突然恢復し、
つい最近は箱根にまで行って、
ゴキゲンな温泉旅行をして来たというし、
大腿骨骨折の手術を経て、
もう歩けなくなるのではと危ぶまれた、
ナカヤマ母も、
お正月の一時帰宅では、
帰宅後を考えて家中に設えた、
手すりを使うこともなく、
みんなが集まっている茶の間まで、
歩いていたというし、
我が母も、
「日本共産党の変遷」や、
「私の会社が倒産した夢を見た話」など、
起きている時は、
声高らかに喋り続けているというし、
今日の「トリオ・ザ・介護人」
2014年初回会合の結論は、
「大正の女は強いよね」というものと、
「ウカウカしていると、
私たちの方が先に逝きかねないから、
今年は自分のやりたいことを、
出来るだけやるようにしましょう」と、
誓い合って散会した。
(最近一番ショックだったのは、
大滝詠一さんの訃報で、
以来「A LONG V・A・C・A・T・I・O・N」
ばかり聴いているのです)

⭐今、私が一番やりたいと思っていること。
🎍三が日の今しか出来ないこと。
「そうだ、今夜は長寝をしてみよう!」
(よく考えれば、
今一番やりたいことが「長寝」というのも、
ちょっと情けないけれど.........。
でも、本音なのです)

今夜はブログを書くことも、
起きた時に任せようと決め、
(ここだけは胸が痛みましたが)
息子に貰った、
「蒸気アイマスク」で目を覆い、
生島さんから貰った、
「ネルネルテープ」で口を閉じて、
「明日は何時に起きてもいいのだ」と、
心の中で呪文を唱えて、
眠りに就いたところ、
起きてビックリ、
な、何と、時計の針は、
🕖午前7時を過ぎていたのだった。

夢も見ないで、
💤7時間近くも寝たなんて、
何年ぶりだろう。
(でも、正直を言えば、
背中は痛いし、
顔はブンブクレているし、
あまり気分が良くはないのです。
私には寝過ぎは向いていないようです)


.........ここで、
ブログを終えようと思ったら、
月尾嘉男先生の愛弟子でもある、
元東大教授(現・東工大教授)の、
浜野保樹さんの訃報に接した。
62歳。
夕べ脳梗塞で死去したのだという。

最近は着物姿で、
最新のシリコンバレーやハリウッド情報について、
話をしていたのに.........。
和と洋、
古き良きものと時代の先端を、
繋いでいた人だったのに.........。
残念で仕方ない。


1/4(土)心に沁みる出来事。

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icon_zamma.jpg1月4日(土)24時46分
第1976回


今日もまた、
心躍ることと、
心沈むことがあった。

「心弾むこと」は、
韓流ミュージカルの劇場として、
定着して来た、
六本木のアミューズミュージカルシアターで、
ミュージカル「Mama I want to Sing」を観たことだ。

(club willbeのHPにも、
「優待チケット」の項に書いてありますが、
読んでいらっしゃらない方のために、
このミュージカルの概要を書きますね)

教会のゴスペル隊から、
スターの座に上りつめるという話は、
アメリカではよくあるサクセスストーリーだが、
このアフリカン・アメリカンミュージカルも、
同じ道筋を辿って、
1960年代に活躍した、
ドリス・トロイをモデルにした作品だ。

この作品は、
1983年にニューヨークのハーレムで誕生し、
世界中で2500回も上演してきたミュージカルで、
日本では1988年に初来日公演をして、
当初7週の公演予定が、
11週に急遽延長となったというほど、
大きな話題となり、
ゴスペルブームのきっかけとなった作品だ。
(この時、招聘に尽力したのが、
アミューズ所属の三宅裕司さんで、
その縁があって、
今公演でもアミューズは、
主催者の一員になったようです)

ドリス・トロイは、
2004年に67歳で亡くなっているが、
彼女のレコーディングには、
リンゴ・スター、ジョージ・ハリスン、
エリック・クラプトン、レオン・ラッセルなども、
参加しているというから、
名だたるミュージシャンたちに慕われ、
尊敬された、
ホンモノの歌姫なのである。

このミュージカルを創ったのは、
ドリスの実の妹の、
ヴァイ・ヒギンセンで、
物語のナビゲーター役ともいうべき、
FM放送局のDJ役をも見事に演じ切っている。

さらに驚きなのは、
ドリス役を演じているのが、
ヴァイ・ヒギンセンの実の娘、
つまりドリスの実の姪の、
ノエル・ヒギンソンなのである。

出演者全員、
「凄い!」などという、
レベルを超えた大迫力の声で、
実に素晴らしい、
作品に仕上がっているのだが、
私は(作品もさることながら)
それよりも、
ヴァイ・ヒギンセンに多大なる関心を抱いた。

彼女は、
プログラムには、
このミュージカルの「創設者」と、
表記されてあるのだが、
他のメディアには「プロデューサー」と、
書かれてあるので、
「同業」などと呼ぶにはおこがましいが、
おそらく私より年長であるだろうに、
年齢など関係ない圧倒的パワーに、
いたく感じ入ったのである。
(製作だけでなく、
脚本も歌詞も担当し、
役者としてオンステージもしている、
スーパーアーティスト&クリエーターなのです)

カーテンコールでの、
ヴァイのトークは、
19年前に来日した時の話から、
日本と日本人への愛が切々と語られ、
涙を拭っていた姿に、
私も目頭が熱くなった。

「もう一度観たかったですね」と、
ナカヤマも言っていたが、
私も明日千秋楽なのが、
とても惜しいと思った。

この流れの中で、
「心沈んだ話」は、
書きづらくなって来たが、
.........夕方から、
大晦日に亡くなられた、
鹿内英子さんの遷霊祭・通夜祭に出席した。
享年92。
15年に渡る介護生活の果てのご逝去だ。

英子さんは、
故・鹿内春雄フジサンケイグループ議長の、
お母さまである。

喪主は、
鹿内春行さんだが、
彼は鹿内春雄さんと、
暁子さん夫妻の長男だったのが、
春行さんが生まれて間もなく、
暁子さんが28歳の若さで、
くも膜下出血で亡くなり、
その後父親である春雄さんも亡くなったので、
春行さんは、
英子さんの養子となって、
(本当は孫なのだが、息子になって)
箱根の別荘で、
英子さんによって育てられたのである。

私は春雄さんとも、
暁子さんとも仲がよかったので、
何年か前から「親代わり」の一人、
ということになっている。

今では彼の両親、
特に母親・暁子さんのことを知っているのは、
親戚を除けば何人もいないので、
「二人があなたのことを、
どれだけ待ち望んでいたか。
誕生をとても喜んでいたのよ。
お父さんのことは、
仕事柄みんな知っているけれど、
お母さんのことは、
あまり知らないでしょうから、
何かの時には、
私をお母さんだと思って、
何でも言ってね」と、言ってあるので、
今回も春行さんから、
昨日電話を貰って、
英子さんのご逝去を知ったのである。

会葬者は、
ご親戚とごく親しい人たちで、
50人ほどだった。

神戸女学院を出て、
鹿内信隆氏の妻になり、
一男二女を産み、
一男である春雄さん亡きあとは、
その子の母親となった強い女性だ。

華麗かつ波乱に満ちた、
鹿内ファミリーの「源」ともいうべき、
大いなる存在が亡くなって、
鹿内家は、
春行さんや、
頼近さんとの間に生まれた二人の弟たちが、
新しい歩みを、
踏み出すことになるのだろう。

3人の子供たちに、
幸多からんことを祈らずにはいられない。

Mamaに、
「歌いたい歌を歌わせて!」と、
自由を求める娘と、
一家のGreat motherに、
別れを告げて自立を誓う青年たち。

よく考えれば、
今日の二つの出来事は、
「心弾む」でも「心沈む」でもなく、
素直に、
「心に沁みる」出来事だったように思う。

1/5(日)さぁ、明日から、仕事です!

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icon_zamma.jpg1月5日(日)25時29分
第1977回


明日から仕事だというのに、
今ひとつ、
緊張感が足りないような気がしたので、
「鑑定士 顔のない依頼人」を観に行った。

(緊張感の尽きない「珠玉のミステリー映画」と、
評判が高かったので、
お正月の「ふやけ気分」から脱するには、
いい特効薬に思えたのです)

その前に、
ネイルサロンに行き、
新しい爪色にしたあとで、
母のホームに立ち寄り、
偶然居合わせた息子とともに、
母としばし過ごして、
息子は自分の買い物をしに、
通りを右に行き、
私は映画が始まるまでの時間を、
「独り」で過ごそうと、
通りを左に向かって少し歩いてから、
タクシーを拾って銀座に出た。

デパートのバーゲン売り場を見たり、
萬田さんがキャラクターを務めた、
カシミヤのセーターの、
売れ行きがどうかを見に、
ユニクロに行ったりいているうちに、
空腹を覚えた。

映画館で、
ポップコーンを食べてもいいと、
思ったのだが(実は大好物なのです)
3月からの「おひとりさまライフ」の、
シュミレーションをすべく、
日比谷シャンテ2階にある、
栗原はるみさんのcafe「YUTORI NO KUKAN」で、
「蓮根入りハンバーグ定食」を食べた。

いつかも書いたが、
(恥ずかしながら)
独りで外で食べるくらいなら、
家に帰るまで何も食べずにいて、
お腹が鳴っている方がまだマシと思い、
実際そうして来た私からすれば、
見知った店員さんもいないレストランで、
「独り外食」をするなんて、
まさに凄い「快挙」なのである。
(多分に「栗原さん」に助けられた感はありましたが)

何しろ25年ぶりの、
独り暮らしなので、
これからも、
独りでいろんなことが出来るように、
春までの間に、
訓練しなくっちゃなるまい。(情けない話)

映画は、
評判通り、
大変面白い作品でした。
(何か書くと、
「ネタバレ」になりそうなので、
このへんでやめますね)

明日は、
会社に行く前に、
先ずは「気管支喘息」の治療のために、
病院へ行かなければならない。

実質的な「御用始め」が、
病院からというのも、
味気ない話だが、
今年は、
いつにも増して、
健康でいなければならないので、
「順当な幕開け」と思うことにしよう。


1/6(月)いざ、変革の荒海に舟を漕ぎ出そう。

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icon_zamma.jpg1月6日(月)26時39分
第1978回


溜まっていた新聞を読んでいたら、
この時間(25時52分)になっていました。
でも、お蔭で、
少し「今年」が見えて来たような気がします。

新聞に、
頻繁に出て来た言葉は、
「イノベーション」

数年前から企業人が、
「経済発展の起動力になる技術革新」という意味合いで、
使っている言葉です。
普通は、新機軸、革新、刷新というように訳しますが、
広辞苑によれば、
「生産技術の革新、新機軸だけでなく、
新商品の導入、新市場・新資源の開拓、
新しい経営組織の形成などを含む概念」とあり、
さすがに2014年のお正月の新聞紙上では、
「イノベーション」という言葉は、
ありとあらゆるところで、
変革を遂げなければならないという、
緊迫感をもった、
強い調子で語られていました。

つまりは、
この辺で私たち(日本人)も、
「本気で変わらないと駄目ですよ」と、
言っているのです。
「変えてほしい」でも「変わりたい」でもなく、
「変わらなければ何も始まらない」と、
いろんな領域のいろんな人たちが、
叫ぶがごとく激しく言っています。


出来る出来ないは別にして、
日本人は「変化」という言葉が好きですよね。
「変化」の向こうには、
新しい可能性を秘めた世界が待っていると、
感じている人、
少なくないですよね。

かく言う私も、
これまでの人生、
「変化したい」「変化せねば」の、
繰り返しでした。

新しい年が来るたびに、
「変革」や「刷新」を望んでいましたが、
頑迷な自意識や、
拭いきれない不安感で、
変化らしい変化も出来ないまま、
ずるずると生きて来たような気がします。

「そうだわ、私、明日から変わるわ」
「よしっ、来年こそ、
永年の夢を実現するために、
今までの怠け者の自分を変えて、
一生懸命頑張るわ」

昨年10月14日の朝、
倒れる前日まで、
そう言っていた母も、
今は自力では変われない人間に、
なってしまいました。

自力で変われるうちに、
変わらなければ.........。

明朝の七草粥の支度をしながら、
そう思う私ではあるのですが、
60余年抱え持ってきた、
頑なで怠慢で臆病な自分に、
負けるような気もします。

.........でも、
いつまで元気でいられるか、
判らないのですから、
2014年は最後かもしれない、
「変革の波」に乗ってみようと思います。

1/7(火)「つれづれなるままに 日ぐらしPCに向かひて.........」

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icon_zamma.jpg1月7日(火)32時21分
第1979回


単身で海外赴任をしている男友達が、
長めの冬休みをとって、
帰国しているというので、
久しぶりに会った。

1/8(水)「地球ゴージャス」の初日舞台を観た。

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icon_zamma.jpg1月8日(水)30時08分
第1980回


今日は、
「地球ゴージャス」の、
新作「クザリアーナの翼」を観た。


1/9(木)淡雪にも気づかず、Urologyの話を聞いていました。

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icon_zamma.jpg1月9日(木)28時45分
第1981回


電通年賀会に出席した。
業種によって(多分......)
3グループに分かれていて、
私は真ん中の、
13時半から15時までの組。
メディア関係者や、
スポーツ・文化領域の人が多かった。
(「なでしこ」の佐々木監督、
コシノジュンコさんもいらした)

帝国ホテルの宴会場を、
ほヾ借り切った形での年賀会は、
他では滅多にお目にかかれない豪華さだ。

私は、
居合わせた知人と、
短い立ち話をし、
何人かの電通フレンズに挨拶をして、
バナナの叩き売りの女性の口上に聞き惚れ、
干支ゴルフや、
熊手市やダルマ市などの、
催しものの会場を見て、
約30分で会場をあとにした。

私が最初に招かれた頃は、
30代の女性は少なく、
バンケットホステスと間違えられて、
「おねえさん、水割り!」などと、
言われたりしたものだが、
最近は若い女性が多くなって来た。

夕方からは、
この夏開催される、
「泌尿器科フロンティアセミナー」の、
世話人のタカハシ先生と、
タカハシ先生に私を紹介くださった、
友人と3人で、
庭が美しい精進料理屋さんで、
顔合わせ会をした。

私は講演と、
シンポジウムのパネリストとして、
セミナーに出席することになっているのだが、
打ち合わせはすぐに終わり、
あとは先生に泌尿器疾患について伺った。

最近は「尿もれ」という言葉も、
大分一般化してきたし、
(声に出して言いやすくなりましたよね)
器官の特性として、
女性に多いと解ってきたこともあって、
以前よりは訪れる女性患者も増えてはいるが、
それでも女医さんが少ないこともあって、
女性にはまだまだハードルの高い、
医療領域なのだという。
(前立腺の治療が多いので、
男性専科のようなイメージが強いらしい)

「昔は『皮膚・泌尿器科』と、
書かれてあるのが普通でしたから、
受診しやすかったのですが、
今はそれぞれが独立したので、
『泌尿器科』と書かれた病院へ行くのに、
抵抗があるみたいなんですよ。
泌尿器の『泌』を『秘』と書く人も、
いるくらいですからね。
僕はそんな泌尿器科のイメージを、
何とか変えたいと思って、
日々奮闘しているんですけどね」と、
タカハシ教授はおっしゃる。

「排泄は人間の最後の尊厳」という、
教授の言葉は、
母を見ていると実感出来る話だった。
(歩けないのに、母は絶対にオムツで用を足さず、
「お腹が痛い」と言う暗号を合図に、
トイレに連れて行って貰っているのです)

私はお医者さんの話を聞くのが、
好きなのだが、
小学校の時にテレビで「ベン・ケーシー」を見て、
医者を志したというタカハシ教授は、
世故にも長けているし、
仏像や寺院に造詣が深いなど、
話の領域が実に広いのである。
(しかし、「ベン・ケーシー」は1962年、
私が小学校6年の時に放送されたのだから、
私より11歳も若い先生は赤ちゃんだったはず。
それでも冒頭の「男・女・誕生・死・そして無限」
(画面では記号がチョークで板書されていましたよね)
という重厚なナレーションも、
急患を乗せたストレッチャーが、
手術室までの廊下を走り抜けるシーンも、
つぶさに覚えていらしたから、
再放送でも観たのだろうか。
次回お会いした時に確かめてみよう)

「僕はある一定の年齢以上の方を、
フィジカルエリートと呼んでいます。
概ね女性だと85歳、
男性で80歳でしょうか。
そこまで行った方は、
健康面では立派なエリートです。
だから少しぐらい調子が悪くても、
出来るだけ自然にしておいて、
あまり手をかけない方がいいのです。
男性と女性では、
やはり女性が強いですよね。
僕は元は脳外科医なのですが、
手術をするという時、
80歳の女性だと、
何も心配はしないのですが、
80歳の男性を手術する時には、
手術に耐えられるか、余病を併発しないか、
術後は大丈夫かなど......とても気を使います。
男女の体力差は、
概ね10歳といったところでしょうか」
フーム、やっぱり女は強いのだ。

途中、
小雪が舞ったらしいのだが、
3人とも話に夢中になっていて、
障子の外に目がいかず、
日本庭園に降る、
淡雪を見逃してしまった。

お医者さんと話をしたせいか、
急に充分にフィジカルエリートの、
母の顔が見たくなった。
昨日・今日と仕事が立て込んでいて、
母に会いに行けなかったので、
明日は仕事の前に顔を見に行こうと思う。

💟kazumiさん、
コメント拝見しました。
ご心配ありがとうございます。
ベッドと壁の間に隙間があるので、
大丈夫だとは思ったのですが、
明日確かめてきますね。

1/10(金)楽天・三木谷さんのお父様の「偲ぶ会」に出て.........。

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icon_zamma.jpg1月10日(金)29時33分
第1982回


このところ、
特にこの1年は、
外に積極的には、
出かけて行かなかった。

母のこともあったが、
誰と会っても、
自分が大きく変わるようには、
思えなくて、
人と会うのがどこか空しく、
不特定多数の人と出会う場は、
絞りこんで、
出かけていたのである。

でも、
今年は方針を変えて、
お誘いを受けた会には、
極力出かけることにしたのである。

そして、
実際に出かけてみると、
何年か前の私に返った(帰った)かのように、
新鮮な気持ちで、
それぞれの場にいられたのだった。

今日伺った、
「三木谷良一さんを偲ぶ会」も、
昨年の私なら、
おそらくは出かけなかった会だと思う。

行きたくないのではない。
「私なんか行ってもなぁ.........」という感覚が、
先に立って、
行けなかったと思うのだ。

......で、
出かけてみたところ、
やはり感じるところがあった。

会場はホテルオークラ。
エントランスには、
「三木谷良一を偲ぶ会」の、
大きな看板が立てられている。
会は14時からなのだが、
13時40分には、
大勢の人が列を作っていた。

三木谷良一氏とは、
楽天の三木谷浩史さんのお父さま。
神戸大学名誉教授であり、
日本金融学会の会長を務められてもいる。
十代から語学の専門学校で学び、
英語とドイツ語に堪能。
難関と言われる、
フルブライト奨学金の試験を軽々とパスして、
29歳でハーバード大学大学院に留学し、
その後もジャパン・ソサエティーの奨学金をもらって、
スタンフォード大学で研究を続け、
帰国後、国際派の経済学者として、
活躍した方だ。

しかし私同様、
今日の会に来た人の中には、
良一氏にお会いしたことがないという人は、
少なくないと思う。
(それもあって、来るのを躊躇ったのですが)

三木谷さんは、
良一氏が亡くなる3ヶ月前に、
「競争力」という本を、
良一氏と共著という形で出しており、
この本が、
エラくなった息子が、
親と対話をしているというような、
柔な本ではなく、
若き経営者と、
50年間経済学者として、
日本を見続けて来た経済学者との、
緊張感のある対話で、
この時代の日本に横たわる諸問題に対して、
処方箋を提示している著書なのである。

この本を読んでいなかったら、
私は今日の会には行かなかったと思うのだが、
三木谷さんと父親との関係性を、
この目で確認したいと思って、
伺った次第だ。

.........ボールルームに設えられた、
白い花々で彩られた祭壇の中央に、
三木谷良一氏の遺影が掲げられていたが、
柔和ないいお顔だ。

白いカーネーションを献花し、
部屋を出ると、
そこには三木谷さんと、
着物姿のお母さまがいらして、
一人一人と言葉を交わしていた。

隣接する部屋には、
壁面いっぱいに、
良一氏ご自身の写真や、
ご夫妻の写真(これがとても多いのです)
家族との写真が飾られ、
フルブライト留学時に持って行った、
クラシカルな革のトランクや、
大学に通っていた頃の、
トレードマークにもなっていたという、
赤い革の鞄など、
思い出の品々も展示されていて、
さながら「三木谷良一記念館」といった趣なのだが、
ここにだけは父に対する、
息子の無条件な愛が、
あふれているような気がした。

神戸を本拠地に、
活躍していた良一氏なので、
既に神戸での、
「偲ぶ会」は終わっているのだが、
息子の本拠地の東京でも、
父の実像を見せたいと思った、
三木谷さんの気持ちが解るような気がした。

列に並んでいる時、
出版界の風雲児と言われている、
幻冬舎の見城徹社長と、
隣り合わせになって、
長い立ち話が出来たことも影響して、
今日は「男のサクセス」について、
考えさせられた。


1/11(土)今年のclub willbeは、positive&activeでいきますよ。

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icon_zamma.jpg1月11日(土)25時11分(偶然1・11・1・11と並びました!)
第1983回


施設に入って、
明日で20日目になる母を訪ねた。

今日はとても機嫌がよく、
「♪カラス、何故啼くのォ〜。
カラスは山に、
可愛いいメダカの、
子があるからよォ〜♪」と、
歌っていた。

解らないとは思ったが、
「お母さん、メダカじゃないわよ。七つの子よ」と、
言ってみたところ、
「わざと間違って歌っているのよ」と、
意識が3ヶ月前に、
戻ったかのような答えが、
返って来て驚いた。

しかし30秒後、
「昔は、うちの子供たちには、
スラカ〜♪と歌わせていたんですよ」と、
娘の私に向かって言うのだから、
やはり「元通り」には、
なっていなかったのである。

こうして、
「喜び」と「落胆」を交錯させながら、
母は時を紡いでいくのだろうが、
それでも、
3度の食事を、
お腹いっぱいいただき、
痛いも寒いも感じることなく、
歌を歌ったりしていられるのだから、
母は「幸福」と言わなければならないのだと、
我が胸に言い聞かせて施設をあとにした。


.........さて、
今週もまた、
club willbeには、
多彩な新メンバーが入会されました。

北海道、福岡、福島、
千葉、神奈川、東京と、
地域も広がっていますし、
年代も30代から70代まで、
幅広い方々です。
(一番多かったのは40代の方でした)

「親世代である団塊世代の方々は、
確かに輝いておられます。
反面、現在の20代、30代は、
少しおとなしいというか、
諦念の感が見受けられます。
間に挟まれた私たち団塊ジュニアは、
今後どう過ごしていけばいいのか、
そのヒントが得られればという気持ちと、
先輩ジェネレーションの方々と、
コミュニケーションをとってみたいという、
半々の気持ちから入会しました」と、
書いてくださったのは、
福岡在住の40歳の男性A・Hさんです。

ご期待に添うよう、
事務局も企画を考えますが、
A・Hさんからも積極的に、
アイディアやプランを、
ご提示いただけたら嬉しいです。


また、
東京在住のK・Aさんは、
「ついに50代になったので登録しました。
また、コンセプトにも共感出来ましたから。
一方、新50代には、
このクラブのコンセプトはやゝ古いし、
ちょっと鼻につくのではないかとも感じたので、
意見を言える機会を持てればと考え、
入会しました」と、
書いてくださいました。

実は、
club willbeも、
丸5年が経って、
コンセプトの根幹は、
変容していないのですが、
目指す方向性を、
この時代の価値観に照らし直して、
再考してみようかと、
考えていたところです。
近々K・Aさんにご連絡をして、
ご意見を伺おうと思っております。
(k・Aさん、よろしくお願いしますね)

また、
メンバーの皆さんとの接点を、
より多くするには、
どうしたらいいかについても、
引き続き(常に)考えております。

さらに、
昨年から約束しているように、
club willbeのサイトも、
スマートフォンやタブレットにも、
対応出来るように、
あるいはまた内容についても、
「刷新」を図ろうと、
関係者に集まっていただいて、
具体的な話し合いに入っています。

律儀なヒロモリ(Honest・Hiromori)を、
刷新責任者にしているのですが、
「出来れば安価に」という、
大命題をクリアするために、
一人で懊悩・研究する期間が長かったみたいで、
(最近、それを知ったのです)
なかなか前に進まなかったようです。

「誕生・丸5年」を祝して、
「少しぐらいは貯金をはたいてもいい」と、
言い置きましたので、
ここからは加速すると思います。

みなさまからも、
「こうしたらどうですか」とか、
「こんなアイディアは?」といった、
ご意見やご要望をお待ちしています。

⭐何事も一緒に、
創り上げていきたいと思っていますので、
今年は特に、
よろしくお願い致します。


1/12(日)「働く」と「稼ぐ」の違いとは.........。

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icon_zamma.jpg1月12日(日)29時55分
第1984回


今日は、
30年以上、
親しくつき合っている。
2人の男友達が、
それぞれの家族を連れて、
我が家に集まった。

私が、
2月には、
今の半分ぐらいの、
広さの部屋に引越すので、
その前に「みんなで集まろう」ということに、
なったのである。

男たちふたりは、
最初はそれぞれが、
私と1対1の関係で親しかったのだが、
ある時一緒に会ったら、
気が合ったらしく、
途中から2人は大親友となり、
私のいないところでも、
飲んだり、
ゴルフに行ったりする、
大親友になったのである。

2人は独身だったので、
いつしか4人で、
お正月を過ごすようになり、
時には上海やニューヨークで、
新年を迎えたりもしたのである。

私は既婚ではあったが、
まだ子供がいなかったので、
身軽だったから、
どこにでも行けたのだが、
ナカヤマは実家に子供を預けて、
行動を共にしていたのである。
今日もその話になり、
ナカヤマは当時を振り返って、
しみじみ言うのだった。

「どうしてあんなことが出来たのか、
今思うと、
不思議でならないのよね。
結婚して、
子供を授かって、
可愛くて、可愛くて、
仕方なかったはずなのに、
お正月の大事な節目に、
子供と離れて、
みんなと一緒に旅行していたのか、
信じられないのよ。
.........多分、
子供が3歳になった時に、
このままじゃいけないと思って、
生命保険の外交員として、
働き出して、
辛いこともいっぱいあったけど、
2年後にザンマさんの会社に入社して、
新しい自分になれたというか、
初めて自立出来たような感激があって、
何よりも自分のお金を持てたことが、
嬉しかったんでしょうね。
一年に一度、
家庭からも家族からも解放されて、
自分を取り戻して、
次の一年も『頑張ろう!』と、
思っていたような気がするわ」

.........やがて、
2人の男たちは、
相次いで、
10歳以上も若い、
素敵な女性たちと結婚し、
(2人の妻はおない年)
以来「家族ぐるみ」のつきあいに、
なったのである。

「家族ぐるみ」と言っても、
家族同伴で会うのは、
せいぜい1〜2年に一度で、
ふだんは基幹メンバー4人が、
2人で会ったり、
3人で会ったりというのが、
「4人組」が、
長続きしている秘訣のような気がする。
(ナカヤマはこれまで一度も、
家族を同伴してはいないことに、
今、気がつきました。
.........こういう場合、
私やナカヤマが、
異性を連れていかないのも、
長続きの秘訣だと、
ナカヤマは知っていたのでしょうね)

今日は、
久しぶりの「家族会」だったので、
外で個別的に会っている時とは、
違った「ニュース」を、
見聞きすることが出来た。

最年長の元出版社男が、
アルトサックスを始めたこと。
彼の妻が前に会った時より、
グンと奇麗になっていたこと。
今も放送局に勤務する男の妻が、
子育てを卒業して、
来月から、
英会話塾を始めること。
彼らの息子のピアノの腕前が、
素晴らしかったこと.........等々。

「私たちも、
今年は新しいことを始めて、
次の会には、
画期的な報告が、
出来るようにしましょうね。
ザンマさんも、
この2年で、
『介護プア』になりましたから、
今年は稼がなきゃいけませんね。
こんなに働きづめなのに、
お金、全然貯まっていませんよ。
『稼ぐに追いつく貧乏なし』なんて、
この時代、悠長なことは言っていられませんからね。
今年は少しは貯金をしましょう!
でないと、
この先はホントに大変になりますからね。
......聞いているんですか?
私、銀行の通帳を見るたびに、
心配で、心配で.........。
とにかく今年は、
『働く』なんて奇麗ごとは言わないで、
しっかり稼ぎましょう!!」

私の財布の中身を、
全部知っているナカヤマは、
みんなが帰ったあと、
ほろ酔いで皿洗いをしながら、
しきりに「稼ごう、稼ごう!」と、
𠮟咤激励するのだった。


😄でも、
私はやはり、
¨稼ぐに追いつく貧乏なし¨派で、
真面目に一生懸命働いていれば、
「何とかなる」と、
思っているのであるが.........。

1/13(月)心を揺さぶった渡辺えりさんの歌。

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icon_zamma.jpg1月13日(月)29時25分
第1985回


夕方6時半から、
六本木のSTB139で開催された、
渡辺えりさんの、
「ドラマティックコンサート」を観に行った。

28歳の時に、
「ビューティフルコンサート」というタイトルで、
ライブを始めてから、
今年は30年目になるのだという。

歌もさることながら、
えりさんのお喋りも、
とびきり楽しい、
コンサートなのだが、
しばしば話が長くなりすぎて、
数年前のコンサートでは、
会場に時間制限があったため、
後半を、
もの凄い勢いでスピードアップし、
たしか何曲かが、
カットされたと記憶している。

「ある時、
時間厳守でやってみたら、
『もっと話を長くしてください』という、
要望が来てしまったんですよ。
今日も昼の部は延びてしまったので、
夜の部は気をつけますね」と、
えりさんが言うと、
客席から、
「いっぱい話してくださぁ〜い!」という、
声があがった。

コンサートは、
お馴染みのバンドメンバーに加えて、
昨年8月に上演した、
オフィス300の公演、
「あかい壁の家」で結成された、
若手役者中心の「あかい壁バンド」や、
サクソフォンカルテットの、
「ピリカサクソフォン」などを迎えた、
盛りだくさんの内容だった。

今回歌った曲は、
えりさんがオリジナルの歌詞を書いたものと、
美輪明宏さんが書いた歌詞の、
主に2種類の歌で、
構成されたステージだったのだが、
熱唱型の歌が多かった。

私は、
これまでのコンサートも、
ほとんど全て観ていると思うのだが、
今回はえりさんの歌唱力が際だって良かった。
声の伸び、艶、声量......どれをとっても、
見事だった。
(特に「ミロール」と「ありがとう」は、
まさにドラマティックに謳いあげていて、
鳥肌が立ってしまいました)

えりさんは言う。
「1月5日は誕生日。
とうとう59歳、
50代最後の年を迎えてしまいました。
(中略)
このところ、
愛する人や尊敬する方たちが、
一気に異世界に旅立たれ、
淋しくて仕方がありません。
(今は亡き中村勘三郎さんとの友情秘話が、
熱く語られました)
時代の空気もどんよりとして、
危険な方向に流れて行くのを、
何とかみんなで、
食い止めなければなりませんので、
嘆いている時間はないんですよね。
私自身も暗黒の時代の再来を阻止しなければと、
必死な日々ではありますが、
今日一日は、
全てを忘れて、
笑って過ごしましょう。
とにかくみなさん、
今を大切に、
そして未来のために、
諦めずに『思い』を伝えて行きましょう!」

ラストソングは、
今や定番曲になっている、
えりさんの故郷の民謡、
「花笠音頭」で、
賑やかに締めくくったのだが、
夜の部は、
律儀に時間規制を守り抜いたため、
いつになくあっさりしていて、
ちょっと淋しかった。

私はもう少し、
笑いと感動に彩られた、
「えりワールド」に、
長居をさせて貰いたかった。

1/14(火)「お説教」ではなく「お願い」のつもりなのですが.........。

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icon_zamma.jpg1月14日(火)25時29分
第1986回


新年になって、
一般的な「仕事始め」は、
1月4日ということが多いのだが、
今年はカレンダーからして、
6日の月曜日からという、
会社が多かったように思う。

我がCANDIDも、
そうだったのだが、
先週1週間は、
年賀会や賀詞交換会が多く、
仕事らしい仕事もしないまま、
何となく過ぎてしまった。

私だけかもしれないが、
2000年に、
「ハッピーマンデー制度」が、
導入されて、
1月の第2月曜日が、
「成人の日」になって以来、
この3連休が終わらないと、
お正月気分が、
抜けない感じなのである。

その意味では、
連休明けの今日が、
実質的な「仕事始め」という、
感覚だったので、
今日は午前中からスタッフを招集して、
会社は、
これから先の1年をどういう方針で、
運営していくかについて、
説明をした。

株高・円安で、
経済界は、
上昇機運の中にあるかのように、
動いているが、
(事実、年賀会や賀詞交換会では、
経済界の重鎮たちが、
確信を持って「好景気」を寿いでいました)
私はおいそれとは信じがたく、
まだまだ不安定な要素があると思っているので、
決して浮かれることなく、
これまでと同じように地道かつ丁寧に、
仕事をすることを、
一義にして欲しいとお願いした。

しかし一方で、
時代の気分は、
「逆風」とは言い難いことも事実なので、
(苦労性の私は、この気分は続いても、
来年夏ぐらいまでではないかとも思うのですが.........)
新しい基軸を確立するためには、
この先の数年を見渡すと、
「今年しかない」とも思えるので、
やっておくべきことは、
今ここで思い切って、
チャレンジしなければならないとも、
述べたのだった。

時間もお金も個々人のパワーも、
無限ではないので、
メリハリをつけて、
費やす時には出し惜しみをせず、
出来うる限り費やし、
保身や言い訳のために、
小出しにするというような、
チマチマしたこと(セコいこと)は、
決してやらないようにしようと、
確認し合った。

その後、
「新春の会」の、
詳細にわたっての直前チェックと、
茂木健一郎さんをお迎えしての、
「kotobaサロン」の経過報告を聞き、
最後にリニューアルを前にしての、
HPの進捗状況を聞いて、
午前中の総合ミーティングを終了した。

ランチを挟んで、
午後はプロジェクトごとに、
個別ミーティングをし、
気がついたら夕方になっていた。

(ランチの時間を利用して、
私は母のホームに顔を出し、
元気そうな母を一目〜10分ほど〜見て来ました。
ところが帰社する途中、
どうしても空腹に耐えられず、
14時からの打ち合わせ前に、
ファミマのサラダとつくねの串焼きを買って来て、
ヒロモリと分け合いながら、
超高速でランチをすませたのでした)


今振り返ってみると、
スタッフには終日いろんな話をしたように、
思っているのだが、
果たしてどれだけ私の気持ちが伝わったのか、
(よもや「お説教」と、
捉えたりしてはいないと思うが、
口調が口調なので)
......皆目、自信がない。


天気予報は、
明日は雪だと言っているが、
この時間、
まだ降る気配はない。

北の国では、
豪雪被害で大変だというのに、
能天気に「楽しみ」などとは言えないが、
でも、やっぱり、
白銀の世界で、
心を清めたいなぁ〜☃

1/15(水)「RUN TO YOU」のゴニルに夢中なナカヤマの春。

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icon_zamma.jpg1月15日(水)29時17分
第1987回


今日は今年初の、
文化放送「大人ファンクラブ」の、
収録があった。
大垣さんとも久しぶりだ。

目下大垣さんは、
年末からの体調不良を、
改善すべく「禁糖中」

私が知る限りでも、
5〜6回目だが、
禁糖中の大垣さんはいつも、
表情がホンワカ穏やかになり、
心身ともに柔軟になっている感じだ。

厳密な人は、
白米や芋類、果物、加工品(塩味のお惣菜にも、
糖分は入っています)までを断つのだが、
大垣さんの場合は、
はっきり「砂糖が入っている」と、
判るものだけを断つという、
緩やかなやり方だ。
(ただし、コーヒーとアルコールはやめるそうです)

それでも、
2週間続けると、
身体がリセットされた感じがしてきて、
スッキリするのだという。
(大垣さんの場合は1〜2キロ痩せるようです)

19時からは、
アミューズ・ミュージカルシアターで、
韓国ミュージカル「RUN TO YOU」を観た。
昨年からシリーズで上演して来た、
韓国ミュージカルも、
今回が最後。

政治の場面で、
日韓関係が微妙になって来た時、
アミューズの大里会長は、
「こういう時だからこそ、
文化の偉大さを見せつけなければ」と、
果敢に立ち上がり、
韓国でも評価の高い、
上質なミュージカルを選んで、
日本でシリーズ上演することを、
決めたのである。

私は8作品、
「全作を初日に観よう!」と、
決めていたのだが、
残念ながら、
1度だけ叶わなかった。

そして今日、
最終作「RUN TO YOU」の、
初日を迎えたわけだが、
いゃぁ、実に素晴らしかった。

一緒に行ったミノヤは、
ふだんエンタメに対して、
あまりストレートには感激しない(したがらない)
タイプの人間なのだが、
観終わった時、
「いいですよねぇ。みんな一生懸命で。
個人的にはこの作品が一番好きだなぁ」と、
いたく感激していた。

周りの女友達が、
韓流スターの「追っかけ」をしているのを、
冷ややかに見ていたナカヤマは、
今回主役を演じたゴニル(超新星)には、
異常な(?)興味を抱いたようで、
「可愛いわねぇ、可愛いわねぇ」を、
連発していた。

かくいう私も、
実は、
一瞬「可愛いなぁ」と思いながら、
観ていたのだが、
家に帰れば、
見目形は似ても似つかないが、
同じような世代の愚息がいるので、
ナカヤマほどには、
思えなかったが、
でも、たしかに「いい感じ」です。

因みに、
ゴニルは1987年生まれの26歳。
身長187センチ、体重67キロ。
(足は細くて長いです)
父はTVプロデューサーで、
母は脚本家。
イギリス留学もしているので、
英語も堪能とか。

隣席の女性は、
私たちくらいの年齢だったが、
フィナーレになると、
『RUN TO YOU』と書かれた、
赤いタオルを振りかざしながら、
周辺の若い女性たちと一緒に踊っていたし、
前の席の50代女性は、
「超新星」のグッズなのか、
大きな星を振り回しながら、
テーマ曲を韓国語で歌っていた。
(いずれも一人で来ているようだった)

その光景を見ながら、
ナカヤマが言った。
「私もあの星、欲しいなぁ。
どこで売っているのかしら。
次回来るときまで入手したいわ」

尚、主役ジェミン役はダブルキャストで、
ゴニルの他に、
やはり「超新星」のグァンスも、
演じることになっている。
(ゴニルと「流派」は違うが、
やはりなかなかの男前)

大里さんの秘書のモコちゃんが、
「今日から23日までがゴニルで、
25日から2月2日まではグァンスですが、
グァンスも素敵ですから、
是非またおいでください」と、
言っていたので、
大里さんへのオマージュをこめて、
必ずやもう一度来ようと思った。

役者たちの一生懸命さは、
いつもながら、
素晴らしいと思ったが、
(みんな汗だく)
劇中、
体制批判のメッセージソングが、
力強く歌われるのだが、
現在の韓国の政治状況を、
彷彿とさせるところもあって、
(歌われている内容は、
我が国にも当てはまるところが多いのですが)
韓国の若きクリエイティブ・スタッフの、
社会性にも感動した。

⭐いずれにしても、
なかなか観られない作品だと思うので、
一人でも多くの人に、
観ていただきたいと思います。


1/16(木)母の何を受け継ぎ、何を捨てるのか.........。

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icon_zamma.jpg1月16日(木)30時08分
第1988回


母にいただいた年賀状に、
私の文章で、
今の状況をお報せしたところ、
この2〜3日、
何人かの方から、
「反応」(感想)があった。

大方は、
「95歳を過ぎても、
あんなにお元気だったのに、
信じられない」というものだ。

中には、
心づくしの贈りものが、
添えられていて、
これまで知らないでいた、
母の人間関係の深さを、
知ることにもなっている。

95歳まで、
週1回は出かけていた、
美容院の女主人からは、
美容院のお年賀タオルとお汁粉を、
送っていただいた。
仙台の遠縁の女性からは、
「血は繋がっていないのに、
親戚で一番話しやすいおばさんでしたから、
人には言えないようなことも、
聞いてもらいました。
施設でおばさんの、
お世話をしてくださる方たちに、
さしあげてください」と、
仙台銘菓「萩の月」が送られてきた。

(美容院は母が近所を歩いて、
探し当てて来た美容院で、
今どき珍しい、
サロンドライヤー【俗称「おかま】が設えてある、
昭和テイストの美容院です。
女主人とアシスタントの女性は、
おそらく70代だと思うのですが、
お客様の大半も70代以上の方たちで、
お店の名前は「乙女美容院」と言います。
母はここに行って、
お店の方と話をするのが、
一番の楽しみだったのです)

.........文字を書くのが好きな母は、
一昨年のお正月には、
自分の手で絵を描いた年賀状を、
80枚出していたのが、
昨年は私の代筆となった。
(この時は「お正月」と「年賀状」の、
関係を理解していて、
12月も半ばになると、
「そろそろ年賀状を書かなければね」と、
言っていたのです)

それが今年は、
季節感に対する、
認識がなくなってしまったので、
いただいた方に、
私が返事を書くことにしたのだった。

人はこうして、
一つずつ、
やって来たことを、
明け渡していくのだろう.........いや、
私の家の場合は、
私が勝手に、
受け継いでいるだけのことなのだが、
いずれにせよこの先の私も、
一つずつ出来なくなることが、
増えていくのだろうなと、
実感する昨今だ。

19日の「新春の会」が終わったら、
引っ越しの準備を始めようと、
思っているのだが、
二度と家に帰れない母の荷物と、
どう向き合うのか、
......今は考えないようにしている。

1/17(金)今宵、CANDID女子たちは「新春の会」準備で居残りです。

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icon_zamma.jpg1月17日(金)23時16分
第1989回


朝から外で会議があり、
途中母のホームに立ち寄って、
看護師さんに、
母のdisposable nappy(diaper)の話をして、
そのあとで母に会った。

会議と会議の合間なので、
時間がなく、
今日も20分程度しか、
会えそうになかったので、
心苦しいというか、
申し訳ないというか、
何ともいえない後ろめたさとともに、
母のいる5階に上がって行ったところ、
先頃偶然ホームの近くに、
住んでいることが判明した、
私の中学時代の友人が、
母の足をさすってくれていた。

彼女がいてくれたお蔭もあって、
ほんの少ししか会えなくても、
胸の痞(つかえ〜この漢字を書くのは、
初めてですが、意味が解る漢字ですね)がおりて、
「短時間でも来てよかった」と、
思うことが出来た。

とは言え、
すぐに帰らなければならない時間になったので、
努めて明るく、
「お母さん、仕事に行ってきま〜す!」と言うと、
母もほとんど条件反射のような元気な声で、
「行ってらっしゃ〜い!」と、
返してくれた。
(自分がどこにいるのかなど、
事実関係は判っていないのですが......)

友人にあとを託して、
会社に帰り、
17時から代官山での会合に出席し、
19時半に再び会社に戻って、
明後日のclub will be「新春の会」の、
準備に大わらわの、
ヒロモリ、アンドウ、ワクダとともに、
当日の進行チェックをした。

昨年は、
入り口でくじを引いていただいて、
席を決めたのだが、
スタッフの人数不足と不手際のために、
やゝ混乱をきたし、
ご迷惑をおかけしてしまったので、
今年は、
あらかじめ隣席希望のみなさんには、
届け出をしていただき、
それを加味して、
テーブルごとに抽選をして、
指定席にさせていただいたのである。

その上で、
このテーブルには、
どなたがいらっしゃるのかを、
「知りたい」と言う私のために、
(寄る年波のせいで、
完全には覚えられないと思うのですが......)
テーブルごとの名簿づくりなど、
かなり大量な、
資料作成を命じたのだった。

私は、
トークセッションに出てくださる、
寺島さんと千住さんの著作を読むなど、
他にもやらなければならないことがあるので、
先に帰宅して、
資料の出来上がりを待っているのだが、
22時42分現在、
会社に電話を入れたところ、
「あと1時間ぐらいはかかります」とのこと。

今回は、
ヒロモリ&アンドウのサポート付きではあるが、
新人ワクダが中心になっての催事で、
いつもはホンワカ、
柔らかい顔をしているワクダが、
夕方会った時には、
怖いくらいに、
キリッとした緊張顔になっていて、
頼もしさえ感じた。

その昔、
「女は男によって変わる」などと、
言われたものだが、
この時代、
男たちが「女で変わる」場面は、
しばしば目にするが、
女たちは、
「仕事によって一皮も二皮も剝ける」と、
言えるような気がする。

ガンバレ!
世の働く女子たちよ!

ガンバレ!
CANDID女子たちよ!
私も寝ずに、
待っているからね。

追伸)
「新春の会」のトークセッションに、
出てくださる、
千住博さんと寺島実郎さんに、
是非とも聞いて欲しいという、
ご質問がありましたら、
明日18時まで、
このコメント欄にお寄せください。
そのまま質問出来るかどうかは、
判りませんが、
極力お応えしたいと思います。



1/18(土)明日、浅草公演が千秋楽を迎える「虎姫一座」は超満員!

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icon_zamma.jpg1月18日(土)24時59分
第1990回


明日で、
浅草コシダカシアターでの公演が、
千秋楽を迎える「虎姫一座」の、
「シャボン玉だよ!牛乳石鹸!!」を観に行った。
(明日の千秋楽は「新春の会」と重なる時間帯なので)

2010年12月から3年余、
通算1200回を超える、
ロングランを続けてきたのだが、
コシダカシアターの契約が満了となり、
やむなくここでいったん、
形を変えることにするのだという。

私はかれこれ、
十数回は観ただろうか。
観るごとに歌もダンスも、
グンとスキルアップしていると、
感じて来たが、
今日は嘘偽り無く、
今までで一番素晴らしいステージだった。

(*来月9日〜3月16日までは、
六本木のアミューズ・ミュージカルシアターで、
「東京モダンガールズ〜天海からの贈りもの〜」という、
新演目での、
全23の特別公演が開催されることになりました)

終演後、
ナカヤマは、
昨日に引き続いて会社に籠って(?)
明日の「新春の会」の準備をしている、
ヒロモリ・ワクダのところに急行し、
私は家に戻って、
作業が終わり次第、
ナカヤマが届けてくれることになっている、
明日の資料を待つこととした。

ナカヤマが、
資料を届けに来たのが、
20時過ぎ。
それからこの時間まで、
明日開催の、
寺島実郎さんと千住博さんの、
トークセッションの構成案を考えたり、
参加くださるwillbeメンバーの、
資料を読んだりしている。

いつもそうなのだが、
前日までに、
出てくださる方の著書や資料を読んで、
一応(?)頭に入れておき、
(多分入っていると思いますが、
最近はすぐ「メモリーロス」になるので、
保証の限りではありません)
前日(大抵は夜)それらを撹拌して、
話の流れを想定しながら、
進行案を考えるのである。

しかしこれは、
あくまでも私が勝手に考えている案なので、
今回も寺島さんと千住さんは、
それぞれにしっかりとした考えを持った、
思索的な方たちなので、
当日何か一つでも、
違った方向に話が行くと、
想定外の進行となるのである。
怖いけれど、
これがまた醍醐味でもあるのだが.........。
(まぁ、ここまで来たら、
運を天に任せるだけですが)

シンポジウム、
パネルディスカッションの、
コーディネーターやナビゲーターなど、
同じようなことを、
何度やっても、
慣れることは決してなく、
毎回緊張する。
(でもこの「緊張感」がなくなったら、
やるべきではないとも考えています)

.........というわけで、
明日の「新春の会」が、
(トークセッションだけでなく)
食事も懇親会も、
滞りなく進行しますようにと、
祈るばかりである。


🙌今週も、
鹿児島、徳島、大阪、静岡、神奈川、東京から、
20代から70代までの、
新しいメンバーが入会してくださいました。
ありがとうございます。

いつの日か、
新メンバーのみなさまとも、
お会い出来ることを楽しみにしています。

1/19(日)「新春の会」も無事終了、明日からは再始動です。

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icon_zamma.jpg1月19日(日)28時41分
第1991回


2014年の「新春の会」は、
みなさまのお蔭で、
滞りなく終了しました。

千住博さんと寺島実郎さんの、
トークセッションも、
「とてもいいお話でした」
「この先、私たち大人世代が、
どう生きるかのヒントになりました」といった声が、
沢山寄せられました。
お二人は初対面だったこともあって、
違った角度からの話が、
重層的に絡んで、
味わい深いトークとなりました。

御協賛会社というお立場で、
club wilbeを応援してくださり、
同時に、
私の「元気の素」でもある、
株式会社アミューズの大里さんが、
「虎姫一座」の、
浅草公演千秋楽だというのに、
「少しでも寺島さんの話を聞こうと思って......」と、
いらしてくださったのですが、
「いやぁ〜寺島さんも素晴らしいけど、
千住さんの話も良かったよねぇ。
聞いていて、
いちいち腑に落ちることばかりで、
虎姫には悪かったけど、
浅草に行く時間を、
ズラすことにしたよ」と、
おっしゃって、
トークセッションが終わるまで、
真剣な表情で、
聞き入ってくださっていたのも、
嬉しいことでした。

14時過ぎにお開きとなり、
まだメンバーのみなさんがロビーで、
二次会の話などをしていらっしゃるのを、
「羨ましいな」と横目で見ながら、
タクシーに乗り込み、
「村木厚子さんの出版を祝う会」の会場に、
向かいました。

村木さんは、
「郵便不正事件」で、
検察による逮捕・取り調べを受け、
164日間の勾留を経て裁判となり、
不屈の精神で無罪判決を勝ち取って、
翌日復職となる.........と、
信じられないような経験をした方だが、
この間の経緯を振り返って書かれたのが、
「私は負けない〜『郵便不正事件』はこうして作られた」で、
(中央公論新社刊 構成は江川紹子さん)
今日はその出版記念会だったのです。

逮捕から4年半、
無罪判決から3年半が経過して、
昨年7月には、
厚生労働事務次官になられたのですが、
地味な風情、
誰に対しても分け隔てなく、
丁寧に接する姿は、
以前とまったく変わらず、
あの凄まじい試練を乗り越えてきた、
激しさのようなものは、
微塵も感じられないのです。

本の帯には、
「男たちが虚偽供述に追い込まれる中、
なぜ彼女だけが454日を、
闘い抜くことが出来たのか」と、
書かれてありますが、
村木さんを見ていると、
「どんな時にも穏やかな気持ちを持って、
生きている」ということこそ、
真の強さを引き出す、
源泉のような気がしてきます。

ご主人も、
厚労省にいて、
(妻が次官になるのと、
入れ替わるように退職して、
今はNPOの仕事をしています)
私はご主人の方とは、
20年ぐらいのつき合いになるのですが、
厚子さんとは、
共通の友人の紹介で食事をしたり、
会合で御一緒したりという関係でしか、
なかったのですが、
逮捕されたと聞いた時、
直感的に、
「あの人がこんなことをするはずがない」とは、
思ったのでした。

今日の会には、
浅野史郎さん、赤松良子さん、
樋口恵子さん、坂本由紀子さんら、
厚子さんの支援者が、
多く参加していましたが、
中に細川護煕さんの奥さま(佳代子さん)が、
いらしていて、
一言二言、
言葉を交わしました。
(ご主人のことは、
余り露骨には伺えませんでしたが、
「みなさまが応援してくださっていて.........」と、
微笑んでいらっしゃいました)

美しい方なので、
それだけでも目を引くのですが、
部屋の片隅に、
ひっそり立っているような方で、
いただいた名刺には、
「NPO法人 勇気の翼 インクルージョン2015」の、
理事長と書かれていました。
(障がい者理解の「教育」と「就労支援」を柱に、
活動しているNPOです。
以前は「スペシャルオリンピックス」日本委員会を設立し、
代表となって活動してもいました)

浅野さんの「締めの挨拶」を、
聞きたかったのですが、
浅野さんに謝って、
18時過ぎから、
最終公演後のコシダカシアターで、
開催されている「虎姫一座」の、
打ち上げに顔を出しました。

「身内だけの打ち上げですが.........」とは、
聞いていましたが、
伺ってみると、
「虎姫一座」の面々とスタッフ、
虎姫の¨お姉さん¨のサエラのお二人など、
上演に直接関わっている、
関係者だけの会で、
ナカヤマと私は、
「ここに居ていいのかしら」という、
感じだったのです。

それでも、
虎姫のみなさんが、
私たちのテーブルに、
飲み物や料理を運んでくれるなど、
心からのおもてなしをしてくれた上に、
大里さんが、
「いつも虎姫を応援してくれている、
club willbeの代表、
残間さんです。
club willbeメンバーのみなさんが、
よく来てくださって、
ありがたいと思っています。
実は今日、
cub willbeが年に一度開催する、
「新春の会」があって、
僕も伺ったのですが、
そこでも2月9日からの、
六本木公演のチラシを配ってくださるなど、
虎姫を心底応援してくださっています」と、
ご紹介くださいました。

club willbeには、
既に100回以上も行ってくださった、
ツワモノもいらっしゃる由、
私もwillbeメンバーの熱き心に、
感謝しております。

.........今日は、
家に、
2週間後に目の手術を、
受けることになっているニシダさんが、
施設の母を訪ねてくれたあと、
久しぶりに我が家に泊まることになっていたので、
21時過ぎに途中退席をして、
自宅に帰りました。

昨日の朝、
「何だか一人でいると不安で不安で.........」と、
ニシダさんから電話があって、
「それならうちにいらっしゃいませんか?
私はwillbeの大きなイベントがあるので、
ずっとはいられませんけど是非.........」と、
いうことになったので、
大した準備も出来なかったのですが、
千住さんと寺島さんの、
トークセッションの構成案を考えながら、
ニシダさんの大好物の肉じゃがを、
5時間ほど煮込み、
福田ふくさんご推奨の、
カニの炊き込み御飯を炊いておいたのです。
(他に、これもニシダさんの好物の、
うなぎの蒲焼きも用意したのですが......)

果たして食べてくれたかどうか、
気になっていたのですが、
肉じゃがを中心に、
しっかリ食べてくれていました。

午前0時52分。
緊張の中に、
ほどよい弛緩をもたらしてくれた、
ニシダさんは、
スヤスヤと気持ち良さそうに、
寝入っています。

何だか私も、
誘われるように、
睡魔が襲ってきました。

明日は月曜日。
爽やかなre・startの為にも、
ベッドに急行します。

1/20(月)移住の季節。

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icon_zamma.jpg1月20日(月)29時37分
第1992回


移住する人が増えている。
関東・静岡・長崎地方で、
放送している、
ラジオ番組「大人ファンクラブ」には、
(関東は文化放送、他には静岡放送と、
長崎放送で放送しています)
雑誌「田舎ぐらし」とタイアップして、
移住をした人たちへの、
インタビューコーナーがあるのだが、
移住者は、
急速に増えている感じだ。

一昨年あたりまでは、
「移住」と言えば、
「大人世代」が中心だったのが、
最近は30代、40代も珍しくないのである。

子供の教育が心配で(学校がないなど)
移住は難しいと言っていた子育て世代も、
考え方が変わって来て、
「いい学校に入れることより、
子供を自然の中で育てるほうがずっと教育的」と、思う、
親たちが増えているというし、
独身女性の「おひとりさま移住」も、
珍しくないのである。

そんな勢いを察知した、
行政サイドも、
古民家の斡旋や現地での雇用確保など、
積極的な移住促進策を採るようになり、
限界集落や相当な過疎地にまで、
新しい住民が増えているのである。
(「田舎暮らし」がしたいと思って、
都会から来る移住者には、
deepな田舎がモテているようです)

番組に登場した移住者たちが、
全員「移住してよかった!」と言い、
楽しそうな日常を、
声を弾ませて語るのを聞いているうちに、
「都会が好きな地方出身者」の、
典型だった私でさえ、
「移住もいいかも......」と思うようになり、
ネットで海の見える移住先を、
探すまでになっているのである。
(昔、お金がなくて、
時刻表の中で【しか出来なかったのですが】
旅をしていたことがありますが、
最近はネットで、
移住ライフのシュミレーションをしては、
あれこれ想像して楽しんでいます)

海外に、
移住する人も増えていると聞くが、
先日会った友人は、
まもなくシンガポールに、
移り住むと言っていた。

「リタイアして、
シンガポールに住むという、
財界人も増えているみたいだけど、
僕は仕事を続ける為に、
シンガポールに拠点を移そうと、
考えているんだよ。
今、世界中でアメリカの情報も、
ヨーロッパの情報も、
最先端情報の収集が可能なのは、
シンガポールだと思うんだ。
ネットで収集すればいいじゃないかと、
言う人もいるけれど、
ナマの、リアルな情報じゃないと、
事業推進には役立たないからね。
それに、
なんだかんだ言って暇だからね。
喧噪な日本を離れると、
自分のあるべき姿や、
なすべきことが見えて来るんだよ。

税金の優遇措置を、
受けられるからという理由で、
海外移住をすると、
日本に何日、現地に何日と、
いつも居場所を、
計算していなければならないから、
落ち着かないじゃない。
だから僕の場合は、
いわゆる移住ではないんだ。
就労ビザだけはとるけど、
好きな時に帰れるようにしておかないと、
長続きしないと思うんだよね。
この国がいくら衰退しているからって、
日本は捨てられないし、
税金は祖国に払って、
少しでも役立ててほしいものね」

てっきり「税金逃れの移住」だと、
思い込んでいた私は、
彼の言葉を聞いて、
ホッとすると同時に、
60歳を越えて、
ビジネス最前線にいることの、
大変さをも思い知ったのである。

さて、
我が家も春に向かって、
「移住作戦」の開始で、
息子は自分で見つけて来た、
6畳にも満たない、
小さな部屋の間取り図を出しては、
「本棚は持っていけないな」とか、
「TV台って、どうしてダサいものしかないんだろう」などと、
ブツブツ言っている。

女友達の中には、
子供が見つけて来た部屋を、
大人の目で検証したり、
家具を一緒に買いに行ったり、
している人もいるが、
(娘さんの場合は、
保全上のことは気になることですよね)
私は極力、
「無関心」を装っている。

不動産屋さんとの交渉をはじめとして、
印鑑登録や住民票などの諸手続き、
家具や家電製品の購買など、
全てを自分の手でやって、
失敗もすればいいし、
後悔もすればいいと思うからである。

最後の最後は、
鬼でも蛇でもないので、
助けはするが、
ギリギリまで自分でやって、
早めに(出来るだけ人生の入り口付近で)
失敗や挫折や後悔は、
味わったほうがいいというのが、
私の「親心」なのである。
(「転ばぬ先の杖」はしまって、
「軽く転がすための杖」を出しているのですが、
息子は何回も「石橋を叩いて渡る」慎重派なので、
私の親心は功を奏さないかもしれません)

私の「移住」は、
フロアが変わるだけの、
「近距離移住」なので、
まだ何も手をつけてはいないのだが、
息子が置いていく物の処理も含めて、
「断捨離精神」を発揮しての、
大整理作業となりそうで、
「物にも心が宿っている」と、思っている、
私にとっては、
気が重い日々となりそうだ。


1/21(火)私物の「始末」は.........。

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icon_zamma.jpg1月21日(火)30時35分
第1993回


今日は珍しく、
誰かに会うという、
アポイントもなかったので、
半休にさせてもらった。

来週は地方出張があるなど、
スケジュールがギッシリつまっているので、
少しでも時間がある時に、
やらないと間に合いそうにない、
引っ越しの準備をすることにした。

間もなく引越す予定の、
私の部屋は、
広さが今の半分程度なので、
家財も半分にしなければいけないのだが、
昨日も書いたように、
人とも物とも、
別れが苦手な私にとって、
何とも憂鬱な作業なのである。

丁度明日には、
母のベッドをニシダさんに、
送ることにもなっているので、
一番やりにくい(やりたくない)
母の部屋の整理から、
始めることにした。

いつの間にこんなに、
溜め込んだのだろうと思うほど、
大量なアクセサリー。
全部安いものだが、
これを嬉しそうに身につけていた、
母の姿を思い出し、
思わず微笑んでしまった。
洋服は、
春夏と秋冬に分けて、
クロゼットに入れてあるのだが、
これはこれからも使えるので、
私の部屋に持っていくことにする。

5つ玉そろばん、
荒城の月のオルゴール、
お手玉、
竹で作られた孫の手など、
昔懐かしい品々も、
引き出しや棚の奥から出て来る。

山のようにあるのが、
いただいたり、
旅先で買い求めたらしい、
手ぬぐいと風呂敷。
文房具屋さんに行っては、
買い求めていた原稿用紙と便箋が、
未使用のまま、
大型ビニールケースに収まっている。

そして、
母が何よりも大切にしていたのが、
自分が書いた原稿の束。
これも大きな段ボール箱一つに、
ビッシリ詰まっている。
「これは捨てるわけにはいかないなぁ」と、
思いながら、
「いつか時間が出来たら読んでみよう」と、
そのまま私の手元に残すことを決めた。

まだ新しいのに、
母がこの先使えないものは、
(例えば、介護ホームでは足元が危ないので、
ロングドレスやスカートは着用出来ないのです)
親戚や親しい人に、
貰ってもらおうと取り分け、
思い出の品ではあるが、
残しておいても、
いつの日か、
私の息子が困るであろうものは、
涙をのんで、
お線香を焚いて供養をしてから、
廃棄した。

.........作業をしながら、
ふと思ったのは、
母が(「辛うじて」でも)元気でいるうちに、
整理することが出来て、
「本当に良かった」ということだった。

つまり、
これが遺品整理だったら、
「どんなに辛かっただろう」と、
思ったのである。
5つ玉そろばんを見ては泣き、
オルゴールの「荒城の月」を聴いては泣き、
養殖真珠のネックレスを、
首に下げては泣き.........と、
作業ははかどらなかったことだろう。
(アクセサリーをいっぱい身に付けた、
母の姿を思い出して、
微笑んだりは出来ないと思います)

ナカヤマにも、
この話をしたところ、
「たしかに親が亡くなった後でやるより、
生きている時に整理をする方が、
カラッとした気持ちで出来るわね。
私も実家の兄に言っておこう。
......ううん、それより、
私も今度母に会いに行った時に、
母と思い出話をしながら、
一緒に整理するわ」と、言っていた。

母のことは、
結果として、
「今に至ってしまった」のだから、
私がやるしかないのだが、
私自身のことは、
息子の負担を考えて、
自ら整理しておかなければと、
改めて思い、
今回の引っ越しで半分、
いや出来たら3分の2の私物を、
始末しようと誓った。


1/22(水)引っ越しシンドローム。

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icon_zamma.jpg1月22日(水)31時09分
第1994回


「始末」の続きで、
写真類の始末も、
結構な時間がかかっている。

今の若い人たちは、
アルバムなどに貼らずに、
パソコンの中に収納しているので、
写真類が物理的に、
「場」を占有していることは少ないが、
我が家には、
時代を超えた写真類が、
相当数残っている。

14年前に亡くなった父の残した写真は、
大分整理したのだが、
それでもまだ小のダンボール箱1つの量は、
保存されている。
母が中心の写真も、
小の段ボールに2つはある。

誕生時の病院でのカットから始まって、
お宮参りや各種お節句、
保育園・小学校の行事など、
折々撮って来た息子にまつわる写真は、
当時父と母が横浜在住だったので、
我が家にあるものと同じ写真を、
そっくり送っていたので、
2倍の量の写真があり、
この整理に手間取っている。
全部を捨てるのも忍びないので、
息子に持たせようとしたのだが、
「部屋が狭くて置く場所がないよ」と、
断固拒否されている。

結局、
今現在で、
写真類だけで、
小の段ボールに7〜8個はあるので、
これもいつか息子が、
「始末」をしなければならないと思うと、
この際、
私が非情の「必殺始末人」に、
ならざるを得ない感じだ。

同時に、
今はシニカルな息子も、
母も私も亡くなった後、
昔の写真を見た時、
「あゝ、祖父母はこんな風に、
僕を可愛がってくれていたんだ」
「あゝ、母はこんな風に生きていたのだ」と、
思ってもらえるように、
(否、そう思わせるように)
残す写真を厳選・抽出し、
出来るだけドラマチックに、
ストーリーナイズさせた構成にし、
私が「いよいよ」となる前に、
息子が感涙にむせぶような、
最後の手紙を忍ばせておこうと、
密かに画策してもいるのである。

しかし、
息子の性格を考えると、
ずっと中を開けずに、
そのまま放置し、
やがて息子の関係者に(家族ならまだしも、
生涯独り身なら、私と縁もゆかりもない人に)
「処分」されてしまうような気もしている。
(所詮、私の自己満足なのだから、
案外関係ない人にあっさり捨てられるのも、
悪くないかも.........)

「始末写真」の中に、
古いフィルムがあったので、
試しに現像してみたら、
家で飼っていた犬の写真と、
高校時代のナカヤマと私の写真が出て来た。

(犬は、弟がお祭りの夜店で買ったヒヨコが、
いつしか大きなニワトリになって、
昼夜おかまいなく、
「コケコッコー」と鳴くので、
困っていたら、
家で沢山の鶏を飼っているという友人が、
「一緒に飼ってあげるわ」と、言って、
貰ってくれたのだが、
翌日「御礼にこれをあげる」と言って、
連れて来たのが、
彼女が拾って来たという、
鼻がピンクの情けない表情の犬なのでした。
あまりにも可哀想な風情だったので、
断りきれずに飼うことになったのですが、
この犬というのが、
野良犬時代の自由を渇望する思いが、
反映されてのことか、
繫がれていた犬小屋を引きずって歩くクセがあり
近所から「鉄の鎖の音よりニワトリの鳴き声の方が、
まだましだった」と、言われ、
始終母は謝って歩いていたものです)

「古ぼけた1枚の写真にさえ、
これだけの物語が詰まっているのだから、
簡単には捨てられないよね」と、
息子に言った(とした)ら、
「その犬を見たこともない僕からすると、
そんな物語は『ふ〜ん』と言うだけの話だよ。
リエコさんだけに意味があるものは、
自分で片づけておいてよね」と、
言われるに決まっている。

私にだけ意味のあることは私で留める。
......たしかに言える。
(その意味では、
ここに書くのもいけないことですね)

思い出写真への未練と、
自己満足ストーリー。
「引っ越しシンドローム」だと思って、
お許しください。

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