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12/14(土)㊗「南青山ぼちぼち団」おめでとう!

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icon_zamma.jpg12月14日(土)26時44分
第1955回


私は伺えなかったのですが、
本日「浮き球△ボール首都圏リーグ」の、
納会があり、
我がclub willbe「南青山ぼちぼち団」から、
女性の「首位打者賞」に、
コシバさんが選ばれ、
表彰を受けたそうです。

また「打率ベスト5」の中に、
女性の4位にツルタさん、
男性4位にスギモトさんが選ばれたと、
納会に参加していたヒロモリより、
喜びの報告がありました。
昨年もフジタさんが表彰されましたし、
選手の人数はギリギリなのに、
大したものです。
「🏆おめでとうございます!」

明日は、
「南青山ぼちぼち団」の面々が、
自主的に開催する、
懇親ポーリング大会が、
品川プリンスホテルのボウリング場で、
開催されるとも聞いています。

事務局主導ではなく、
メンバーが自主的に練習をしたり、
懇親会を開いてくれたり、
大人のクラブの、
「あるべき姿」かもしれません。

我が家には、
母のお見舞いにと、
久しぶりにニシダさんが来てくれて、
今夜は泊まりです。

もう一人、
息子が1歳の時、
たまたまシッターさんを公募したことがあって、
応募して来たのが、
当時20歳になったかならないかの、
ユミちゃんという女の子で、
今夜はそのユミちゃんも泊まっています。

ユミちゃんはお父さんが、
若くして亡くなったこともあって、
大学進学を諦めて、
語学学校に通っていたのですが、
何とか自分の力でアメリカに行きたくて、
アルバイトを探していて、
我が家のシッターさんになったのでした。

その後単身でニューヨークに渡り、
私の友人の会社や、
マンハッタンの紀伊国屋書店などで働いて、
とうとうニューヨーク市立大学の、
シアター&ムービー学科を卒業したという、
努力の人です。

しばらくNYの映像制作会社などで、
仕事をしていたのですが、
7年前に帰国し、
その後はエイベックスで働いていました。

我が家には1年しかいなかったのですが、
その後の23年間、
音信が途絶えたことはなく、
今ではニシダさん同様、
準身内です。

昨年エイベックスを辞めて、
この1年は、
私の知人の伝手で、
スイス在住の20世紀を代表する、
具象画家・バルテュスの夫人、
節子・クロソフスカ・ド・ローラさんに請われて、
スイスの館(50も部屋のあるスイス最古の木造建築)で、
節子さんや節子さんの娘さんの、
手伝いをしていたのです。

母が倒れた頃と、
相前後して帰国し、
茨城の実家にいたのですが、
来春からは東京で、
新しい仕事を始めるというので、
その下準備を兼ねて、
母が入院して、
淋しくなった我が家に、
寄宿してくれているのです。

私が病院へ行けない時は、
母に会いに行ってくれるのですが、
母もユミちゃんが大好きで、
「あなたはいつもニコニコしているのねぇ」と、
まるで目が見えるかのような、
反応をするのです。
(本当にユミちやんはいつもにこやかなのですが)

つい先日も、
「あなたにピッタリの人がいるのよ。
今はまだ言えないけれど、
私は、二人が結婚したらいいなと思っているの。
あなたは結婚はしたくないの?」と、
母が問うので、
「そんなことはありません。
いい方がいたら結婚もしてみたいです。
その方はどんな方なんですか?」と、
ユミちゃんが尋ねたところ、
「私はいいと思うんだけど.........。
あなたは気に入るかしら。
.........じゃぁ、思い切って言いますね。
その相手というのは......うちの息子なのよ」
息子、つまり私の弟は既婚者なので、
「息子さんはもう結婚していらっしゃいますよ」と、
ユミちやんが笑いながら言うと、
「あらっ、そうだっかしら?
あの子はまだ結婚していないと思っていたけど、
いつの間にしたのかしら?」と、
母は澄ました顔で言ったのだそうです。
(弟のことは−35歳ぐらいに、
ユミちゃんのことも−20歳ぐらいに、
捉えているようです)

ニシダさんとユミちゃんの他にも、
息子が友達を2人連れて来て、
息子の部屋で3人で寝ています。

このところ帰宅すると、
家の中の空気がひんやりしていて、
人気のなさを、
淋しく感じていたのですが、
今夜は.........もう朝ですが、
家の中に人の気配が感じられて、
よく眠れそうです。
(この家に移転してきてからも、
段ボールに入ったままになっている、
昔の写真を整理していたら、
こんな時間になってしまいました)



12/15(日)ナカヤマと連絡が取れず.........。

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icon_zamma.jpg12月15日(日)24時21分
第1956回


ニシダさんに持って帰ってもらう、
肉じゃがやぬかづけなどを用意して、
見送って1時間後、
ニシダさんから電話が入った。

「今、家に着きました。
あのあと嘘みたいな、
出来事に遭遇したんですよ。
地下鉄に乗ろうと思って、
エレベーターに乗り込んだら、
いきなり若い女性に抱きつかれましてね。
びっくりして思わず顔を見ると、
年の頃は二十代初めくらいで、
とっても奇麗な女の子だったんです。
今にも泣きそうな顔をして、
『あっ、すみません。
あまりに亡くなった母に似ているので、
つい.........本当にすみません』と、
謝るんですよ。
で、地下鉄の乗ろうとして、
ホームにいたら、
またその子が駆け寄って来て、
『もう一度だけ、
手を握っていですか』って、言うんですよ。
お母さんは、
50歳で亡くなったというので、
『私なんてそろそろ、
お迎えが近づいている年齢なんですよ』と、言ったら、
「絶対に長生きしてくださいね」って、
言われてしまいました。
どこの誰だか判りませんけど、
あんなに真剣に、
『長生きしてくださいね』なんて言われると、
嬉しいものですね。
今日、
病院でお母さんが、
咳がひどくて、
器具で痰をとられて、
凄く苦しそうにしているのを、
切ない思いで見ていたので、
気持ちが沈んでいたんですけれど、
あの女の子のお蔭で、
少し気持ちが晴れました。
私も来週は、
先日とは違う方の目の手術を、
しなきゃいけないんですが、
お母さんの苦しさを思えば、
私なんてラクなものだと思います。
私も頑張りますけど。
今はお母さんの風邪がよくなることだけを、
お祈りしていますね」
(こんなドラマみたいなことって、
あるんですね)

母は風邪が長引いていて、
咳がとれず、
この数日、
喉に痰がからまって、
かなり苦しそうだ。

何とか、
一日でも早く、
退院させてやりたいのだが、
ここに来て、
風邪のせいで、
足踏み状態が続いている。

明日は、
私が仙台に出張しなければならないので、
その間のことを、
ナカヤマに頼みたいのに、
club will be有志との、
ボーリング大会に出ると言ったきり、
何度電話をしても、
未だに居場所が判らないのである。

「レンラク コウ」
学生時代、
二人とも電話がなかったので、
ナカヤマとは、
いつもこの文面の電報で、
やり取りをしていたのを思い出す。
(「オイデ コウ」もあったけれど)

誰か、
ナカヤマの行方を知りませんか?
「連絡、乞う!」なのですが.........。


12/16(月)我が故郷に、ワシントンホテルが出来ました。

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icon_zamma.jpg12月16日(月)23時49分
第1957回


仙台にいます。
朝はうっすら雪化粧だったらしいのですが、
お昼過ぎには、
北側斜面を除くと、
雪は跡形もなく消えていました。

明17日に、
仙台ワシントンホテルが、
グランドオープンするので、
社外取締役として、
開業レセプションに、
参加するために来たのです。

ここでも、
広島ワシントンホテルの、
「広島ルーム」同様、
公募で集まった、
宮城らしさを前面に出した、
「宮城ルーム」が3室作られており、
なかなか好評でした。
(欅がテーマの部屋、三陸海岸がテーマの部屋、
伊達政宗がテーマの部屋があります)

.........まだまだ書きたいことはあるのですが、
どうもパソコンの調子が悪く、
今にも消えてしまいそうで、
怖いので、
そろそろ終わりとします。

12/17(火)病床の母を想い、1分も無駄にしない「急ぎ旅」でした。

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icon_zamma.jpg12月17日(火)24時43分
第1958回


仙台から戻りました。
たった1泊2日とは思えない、
内容満載の濃密なひとときでした。

仙台ワシントンホテルは、
ここまで来るのに、
随分紆余曲折があったようです。

事業の契約締結予定の、
ほんの少し前に(前日か当日?)
東日本大震災が起きて、
オーナーの方の家が被災し、
音信不通となり、
藤田観光側は、
「あゝ、これでこの話は無理だろう」と、
思ったそうです。
(オーナーがいるって、
不思議に思う方もいるでしょうが、
ホテル事業は投資額の償却に、
数十年を要する場合が少なくないこともあって、
ホテルの土地・建物が「自前」ということは、
それほど多くはないのです。
土地所有者と何十年間かの契約で、
お借りするケースが多いのです。
建物は前もって「ホテルにする」と、
合意の上で建築に取りかかるので、
運営側(藤田サイド)の、
要望を受け入れて建てるのですが、
あくまで所有者との、
賃貸契約で成り立っているのです)

その後、
オーナーの方が、
無事なのを確認出来たことと、
何よりも「被災地支援」という意味から、
(雇用創出が大きいので)
事業続行を決めたのですが、
今度は、
東北各地で、
被災地復興のための工事が始まったため、
人手が足りなくなったのと、
建築資材が不足して、
建築費が急騰し、
震災前のビジネスプランでは、
採算が成り立たなくなり、
またしても暗礁に乗り上げたのです。

社内でも、
大分議論をしたのですが、
「やはり少しでも東北が元気になるなら」と、決断し、
本来なら今年4月オープンだったのが、
8ヶ月遅れにはなりましたが、
今日の開業に、
漕ぎ着けることが出来たのです。


........さて、
試泊をした私は、
今朝は6時に起きて、
7時半に朝食レストランに行き、
朝食の試食をしました。

ワシントンホテルは、
朝食には、
ことのほか気を使っていると、
言われていますが、
仙台も、
バラエティに富んだ、
朝食ブッフェでした。

和・洋の両方があるのは当然にしても、
「地域と密着したホテル」を、
標榜しているので、
宮城の食材をふんだんに使っています。

私が食べたのは、
牛タンカレー、五穀米粥、白石温麺、
具沢山(根菜やキノコ類たっぷり)の、
仙台味噌を使った味噌汁、
スモーク牛タンと豆類をトッピングした野菜サラダ、
ソーセージ1本(ベーコンもありましたが)
笹かまぼこ、長なすの煮浸し、白菜の漬けもの、
小さいパンケーキに、
コーヒーをいただきました。
(凄い量?でも、「試食」は仕事ですから、
食べないわけにはいかないのです?)

他にも、
ほうれん草入りのスクランブルエッグとか、
フライドポテト、
ポテトサラダなど各種野菜のサラダバー、
各種パン類、各種ジュース類、
煮物、焼き魚(鮭と白身魚)
大根おろし付きの明太子、納豆、など、
定番ものも揃っていました。
(もっと沢山の種類があったのですが、
忘れてしまいました)

ホテルを9時半には出て、
卒業した小学校に行ってみました。
仙台市立原町小学校。

ここで過ごした日々が、
私という人間を創っていると思うので、
自分を原点に戻したい時、
独りで訪ねるのです。
今日は、
「元気な母の病弱な娘」だった時代を、
思い出したかったのです。

昔住んでいた家のあったところを、
訪ねてみました。
(家自体は壊されて既になくなっているのですが)

当時、
我が家に家を貸してくれていた、
大家さんの家の中を、
覗き込んでいたら、
中から「あら〜、来てくれたんですか」という、
女の人の声がして、
幼なじみのヨシオちゃんの、
奥さんが顔を出しました。

裏手には、
ヨシオちゃんもいるというので、
ぬかるんだ坂道を降りて行ったら、
懐かしいヨシオちゃんが、
照れくさそうな顔をして、
立っていました。

消防士だったヨシオちゃんは、
リタイアして、
自治会の仕事や貸家の管理など、
家周りの仕事を、
のんびりしているとのこと。
穏やかな風情は、
その昔、
私をオシッコの溜まった、
落とし穴に、
落下させた悪戯っ子には、
とても見えませんでした。

小一時間、
お茶とお菓子をいただいて、
旧交をあたため合い、
付近を少し散策してから、
仙台NHKの人たちとの、
待ち合わせ場所に行きました。

彼らの推奨する、
「あら浜」という名のお店で、
(荒浜の店は震災で流されてしまったそうですが、
来年には荒浜でお店を再開するそうです)
海鮮どんぶりをいただきながら、
今月末の番組出演の打ち合わせをして、
仙台駅に向かいました。

仙台駅では、
先月お父さんを亡くしたばかりの、
小学校時代の親友に会ったのですが、
お母さんが1週間前に、
3回目の脳梗塞を起こして、
目下人事不省と聞いて、
「みんな大変なんだなぁ」と、
しみじみ思いました。

親の介護の話のあとは、
4月に次女の家に生まれたという、
可愛い孫の話を聞き、
待ち受け画面にしている、
孫娘の写真を見せてもらって、
ちょっぴりハッピーな、
気持ちになったところで、
新幹線の改札口でお別れしました。


.........明日は、
朝、母の病院へ行ってから、
出来るだけ早く出社し、
溜まっているブログ写真を掲載してから、
スタッフたちとの打ち合わせを済ませて、
大阪に向かう予定です。
多分、
最終新幹線での帰京です。


12/18(水)疲れて、身体中が岩(大岩)みたいです。

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icon_zamma.jpg12月18日(水)25時48分
第1959回


最終の1本前の新幹線に、
飛び乗って、
大阪から帰京しました。

昨日東京駅で、
タクシーがなかなか来なかったので、
今日は品川駅で降りて、
タクシー乗り場に行きましたが、
雨のせいもあって、
長い列が出来ていて、
帰宅は24時を少し回ってしまいました。
さすがにクタクタです。

今日の大阪行は、
私も理事の一人になっている、
NPO法人「新現役ネット」が主催する、
「新現役宣言フォーラムin関西」の、
ナビゲーター(進行役)をするためでした。

ジャーナリストの嶌信彦さんが、
講演をしてくださり、
そのあと二人でミニトークをし、
最後にお客様とのQ&Aコーナーを、
取り仕切るというものでした。

朝3時半に起きて、
生島さんの番組に出てから、
9時半に会社に行き、
溜まっていた書類を片付けて、
12時に母の病院へ行って、
14時過ぎの新幹線で大阪に向かいました。

目はショボショボしているのに、
新幹線の中では眠れず、
(最近は乗り物の中で眠れないのです)
嶌さんにまつわる資料を再読したり、
新聞と週刊誌を読んだりしているうちに、
新大阪に着いてしまいました。

嶌さんの講演タイトルは、
「日本人の覚悟〜大動乱時代を超える」
というものでした。

この先の日本を考えると、
2050年には人口が9000万人になり、
2100年には4700万人になるのですから、
これまでのような、
(GDP世界2位などという)経済大国には、
なり得ません。
それなら、
せめて「国柄のいい日本」になりましょうという、
話が印象的でした。
(人も「あの人、お金持ちだね」とか、
「喧嘩に強いね」と、言われるより、
「あの人、人柄がいいね」と、
言われたほうが「素敵でしょう」という話です)

そのためにも、
大人世代は、
「覚悟」を決めて、
自分の思いを言葉として外に発し、
経験や培って来た知見を、
若い世代に伝えて欲しいと、
嶌さんは熱く語っていました。

Q&Aコーナーでは、
原発推進派の男性から、
「嶌さんは原発についてどう思うか」と、
問われたのに対して、
嶌さんは、
「基本的には廃炉の方向でしょう」と、
穏やかに話されたあと、
「みなさん、是非『100000年後の安全』という、
映画を観てください。
既にDVDにもなっていますので、
TSUTAYAでも借りられますが、
出来たら買って観てください」と、
真剣な表情で訴えていました。

この映画はドキュメンタリー映画で、
小泉元総理が「反原発」発言をするきっかけになった、
フィンランドの「オンカロ」と呼ばれる、
放射性廃棄物の最終処分場の、
実情を撮った作品で、
世界各国の映画祭でグランプリなどを、
獲っている秀作です。

フィンランドでは、
4基の原子炉が稼働中で、
さらに2基の建設が予定されていますが、
使用済み燃料は再処理をせずに、
高レベル放射能廃棄物として、
直接処分すると計画されていますが、
高レベルのまま処分しようとすると、
放射能の影響がなくなるまで、
10万年もの歳月がかかると言われています。

そこで、
フィンランドでは、
18億年前に出来た固い岩盤を掘って、
地下500メートルの巨大空間に、
使用済み燃料の廃棄物を入れて、
コンクリートで密閉することに決めたのです。
作業が終わるのは2100年で、
閉鎖後はトンネルを掘る以前の状態に戻し、
地上には木や草や花を植え、
何事も無かったかのようにするのだそうです。
(建物も建てる計画もあるようです)

6万年後に氷河期が来て、
ツンドラ地帯になり、
忘れ去られるのが一番望ましいと、
されているのですが、
未来の人間たちが、
掘り起こさない保証は無いと、
学者たちは言うのです。

何しろ今から10万年前と言えば、
ネアンデルタール人の頃ですから、
そこから10万年後を想像すると、
もし10万年に満たないある日、
何かの拍子で、
誰かが掘り起こしてしまったら、
(今の人類ではないかもしれないし)
とんでもないことになるという有識者もいて、
それらをドキュメントしている映画です。
(YouTubeでも、
予告編などは観ることが出来ます)

監督は、
デンマーク人のマイケル・マドセンという、
コンセプチャル・アーティストで、
彼によれば、
「10万年もの間、
耐久性があるといわれる、
放射性廃棄物の最終処分場を造る、
オンカロプロジェクトは、
建築学的にも哲学的にも、
これまでのどの先人の試みをも、
越えるものです」と、
皮肉をこめて述べています。
(この現場を視察した小泉さんは、
原発に対して翻意したようです)

......私も、
嶌さんの資料を読まなかったら、
ここまでは調べなかったと思います。
本当は、
あまりにも時間がないので、
端折りたかったのですが、
「知らないことを知る喜び」には負けました。


明日は、
朝から会議があって、
文化放送の収録(年末年始なので3本です)の合間に、
今年最後の、
手指注射を打ちに行く予定です。(多分10本)


追伸)
昨日の朝食は、
いくら私でも、
それぞれ一人前は食べていません。
牛タンカレーは、
3分の1膳くらいのご飯にルーをかけ、
五穀粥は4分の1膳程度、
白石温麺もわんこそば1杯分くらいです。

私、こう見えて(?)胃腸が弱く、
慢性胃炎と糜爛性胃炎の患者なのです。
胃潰瘍で胃を「3分の2切りなさい」と、
言われたこともありますし(2年かけて薬で治しましたが)
父が胃癌と大腸癌で亡くなったので、
消化器系は「要注意」なのです。

朝起きて、
胃がスカッとしている日は、
これまで数えるほどです。(自慢することでもありませんね)

.........あら、
もうこんな時間!
これから年末2回分の「生協」の、
注文票を書きます。
(目下、これが最大のストレス解消法なので)

12/19(木)どこかで会ったら.........😊

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icon_zamma.jpg12月19日(木)24時36分
第1960回


今日は、
ほヾ昨日書いた通りの、
スケジュールで進みましたが、
文化放送の「打ち上げ会」だけは、
母のことがあって、
参加出来ませんでした。

もう一つの計算違いは、
手指注射が、
(1本少ない9本だったのですが)
いつにも増して、
注射が痛いのなんのって......打っている最中は、
「ウッ、ウッ、ウ、ウ、ウ」と、
声が出るほどの激痛が走り、
この時間になってもまだ、
痛みが去らず、
指が自由に動かせません。

明日はお昼から、
大阪・千里で、
知人に頼まれた講演会があり、
そのあと、
グランフロントを見て回ります。

😃 akaneさん、
最前列で、
ひときわきれいな、
女性二人連れの、
どちらかが、
akaneさんだったのですか?
お声をかけて下さればよかったのに.........。
もしお話が出来たら、
最終の新幹線でも構いませんでしたのに、
.........残念だったなぁ。

時々町で、
「私もwillbeメンバーなんですよ」などと、
声をかけていただくと、
仲間に会えた感じがして、
とても嬉しいのですよ。

💟will beメンバーのみなさま、
どこかで私を見かけたら、
声をかけてくださいね。
昔なら、
「素敵な男性と二人きりの時だけは、
ちょっと遠慮してくださいね」なんて、
見栄を張って、
言ったこともありましたが、
最近はそんなことは皆無ですし、
仮にそんな場面であっても、
相手は「ただの仕事仲間」ですから、
どんどん声をかけてください。

それでは、
今宵は痛い手指を庇いながら、
寝むことにします。
明日目覚めたら、
きっと嘘みたいに、
痛みは消えていると思いますので。

オヤスミナサイ💤


12/20(金)backstage の人たちの威力。

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icon_zamma.jpg12月20日(金)30時11分
第1961回


1週間の行脚が終わった。
心は満たされたが、
身体は、
「東奔西走」について行くだけで、
精一杯だった。
(★帰宅するなり「バタリ」と、
倒れてしまいました)


💗気を取り直して.........。
今日は、
特に心が満たされた日でした。

今日の講演は、
「ITC 千里クラブ」からのお招きでした。

ITC とは、
「International Training in Communication」の略で、
1938年にサンフランシスコで、
アーネスト・ホワイトさんという女性が、
女性のために「社会で役立つ指導力」と、
「時代に即した国際感覚」を、
磨くことを願って創設した、
非営利団体の教育訓練の機関で、
現在世界16カ国に、
4000人近いメンバーがいます。

日本は8ブロックに分かれていて、
1200余人がメンバー登録を、
しているとのことですが
社会で仕事をしている人もいますが、
多くは主婦の方々だそうです。

具体的には、
リーダーシップや、
コミュニケーションスキルを磨くために、
スピーチの表現技術などを、
実地で訓練開発するというもので、
英語を使用してのクラブと、
日本語を使用言語とするクラブがあるそうです。

大阪でもいくつかのクラブが、
活動しているようですが、
今日は「千里クラブ」が主役です。

千里クラブは女性22人、
男性1人から成り(今日も「白一点」でした)
月に一回、2時間程度の、
例会を開いているとのことですが、
トレーニングだけでなく、
楽器の演奏をしたり、
気軽なお喋りを楽しんだりする、
地域密着型の大人のクラブです。

私が今日伺うことになったのは、
約2年半前に、
敦煌にご一緒して以来、
仲良しになった、
「千里クラブ」の中心的メンバーでもある、
ユミさんからの依頼だったのですが、
私の講演の前に、
ユミさんたち6人が、
素晴らしいオカリナの演奏をして、
迎えてくださったのでした。
(私のお姉さん世代のユミさんは、
シャンソンも歌えば、
オカリナも演奏するという、
今時のアクティブ・ウーマンです)

今日は「千里クラブ25周年記念の会」ということで、
他のクラブの方や会員ではない方も、
いらしてくださったとかで、
「ランチョンパーティの形式を採ったため、
120人がギリギリだったんですが、
ランチがなくてもいいから、
話を聞かせてくださいと言う人や
キャンセル待ちの人もいたんですよ」と、伺い、
「私ごときに」と、とても感激しました。

これは、
私の力というよりは、
ユミさんから紹介を受けた、
現会長の浦濱さんが、
10ヶ月も前から、
熱心に会のことをお便りくださったり、
ご自分も「club willbe」に入って、
私のことを少しでも理解しようと、
努めてくださった賜物だと思います。
(水曜日の嶌さんとのトークショーにも、
来てくださったのです)

女性たちが、
気負わず、楽しく、
クラブ活動をしている姿にも、
感銘を受けましたが、
クラブ運営のバックステージ・スタッフ、
(裏方さんたち)にも、
大いに共感し、
私たちwillbe事務局も、
「尚いっそう精進しなければ」と、
心新たにした次第です。

このあと、
梅田の「グランフロント大阪」を視察し、
ここでも、
「ナレッジキャピタル」を、
オペレーションする、
裏方さんたちの熱き志にふれて、
その思いをいっそう強くしたのでした。

明日は、
「willbe混声唱団」の本年最後のレッスン日。
私は親しい人の結婚式に、
出なければならないので、
伺えないのだが、
.........まてよ!
少し急げばレッスン開始時には、
いられるかもしれない。

裏方の一人としては、
行かねばなるまい。


12/21(土)歌う門には「幸」来る。

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icon_zamma.jpg12月21日(土)29時58分
第1962回


今日は、
「willbe混声合唱団」の、
第3期のみなさんの、
「歌い納め」の日でした。

私は、
日頃お世話になっている方の、
結婚式と披露宴があったので、
ずっといることが出来ず、
レッスン開始前に、
ご挨拶だけをして、
辞去しましたが、
今日はことのほか、
素晴らしい仕上がりだったようです。


アンドウからの報告によれば、
「取り急ぎ、ご報告を致します。
本日第3期の合唱団の活動が、
終わりました。
残念ながら、
時間がなくて、
「第九」に取り組むことは、
出来なかったのですが、
「Yesterday once more 」と、
「Happy Xmas」は、
最後までやり遂げました。
その出来映えは、
『素晴らしい』の一語でした。
特に、今日は男声の声が、
びっくりするほど響いていて、
全体のハーモニーを、
しっかり支えていました。
来期も皆さんが来てくださることを、
念願しております」とのこと。

合唱団のみなさま、
お疲れさまでした!

これは、
既に事務局より、
お知らせしておりますが、
来年11月のコンサートに向けて、
新団員は募集せずに、
今の形のままいこうと、
一度は考えたのですが、
考えてみれば、
これは「club willbe」の、
自由(意志)を愛する、
理念に反するような気がして、
(猛省しつつ)
考えを改めました。

コンサート開催が、
合唱団の「最大目標」ではなく、
そこまでの「成果」を、
他のメンバーのみなさんに、
「聴いていただけたら嬉しい」ということで、
開催されるべきものですので、
全曲を全員が歌うこともなく、
「私はこの曲とこの曲を歌いたいです」も、
あっていいですし、
「これは私には無理かもしれない」と、思っても、
金岡先生から、
「いえいえ、とてもよく歌えていますから、
この曲とこの曲は是非出てください」と、
要請されることがあるかもしれない、
という感じで、
いきたいと思っています。

これからでも、
「入団したい」と、思われる方は、
「随時入会」と致しますので、
どうぞお申し込みください。

来年の合唱団活動は、
2月から4月が第4期、
5月から7月が第5期、
8月はお休みで、
9月から11月が第6期となります。

大きな声で歌ってみたい人、
歌うことを通して、
新しい友達を作りたい人、
いつからでも結構です。
どうぞいらしてください。
お待ちしています😊


💘結婚式の方は、
20歳違いの「年の差婚」でしたが、
とてもお似合いのお二人でした。

寒さが増す一方の昨今、
熱いまなざしで見つめ合う二人を前に、
「好きな人といられたらあったかいだろうなぁ」と、
一瞬思ってしまいましたが、
「二人でいることの寒々しさ」をも、
知っている私としては、
独り「着膨れの冬」でいいとしましょう。
(冷たい男より、
あったかい毛布のほうがいいも〜ん)


12/22(日)頑張っても、頑張っても、1日24時間では足りないなぁ。

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icon_zamma.jpg12月22日(日)27時15分
第1963回


この3連休、
仕事もあるのですが、
合間をかい潜って、
母のことで奔走しています。

実を言えば、
正確には約3週間、
何カ所かの介護施設を見に行ったり、
関係各方面と折衝したり、
これまでの人生で、
ワースト3に入るような気がする、
辛く、厳しい日々でした。
(尤も全ては、
「過ぎてしまえば何でもないこと」
なのですから、
来年の今頃は、
また別な「辛いこと」の前で、
右往左往しているのかも、
知れませんが.........)

母の容態は、
一応ですが、
今は安定しているので、
(あくまでも「今」という時点でですが、
これ以上悪化もしないけれど、
これ以上良くもならないという状態です)
「治療の場」である病院から、
「生活の場」であるケア施設に、
移すことを考えなくてはならず、
あちこち走り回っています。

それにしても、
初めて知ることばかりで、
毎日、
伸るか反るかの、
緊張感と不安感が交錯し、
仕事の疲れとは、
別種の疲労感に襲われているのですが、
母に、
少しでも心地よい新年を、
迎えさせたくて、
残存エネルギーをふり絞っています。

この間の出来事は、
「明日は我が身」でもありますので、
また、ゆっくりお話しします。

12/23(月)明日から、母の次なるステージが始まります。

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icon_zamma.jpg●12月23日(月)23時16分
第1964回


このまま行けばの話ですが、
母は明日、
ケア施設に移ります。

本人は、
多分判ってはいないと思いますが、
明日の朝も、
今日と変化が無いことだけを、
祈るばかりです。
(今夜、高熱でも発すれば、
年内の移動は難しいでしょうから...)

さらには、
いつまた病院へ、
逆戻りするかも知れませんので、
主治医にも看護師さんにも、
失礼の無いように、
礼を尽くして、
辞去しなければなりません。

そこで明日、
母が移りすむまでに、
母の居室を、
「母の部屋らしく」しておかなければと思い、
ユミちゃんと息子と3人で、
ケア施設に行き、
母の好きな絵や写真を飾って来ました。
(母の目は見えないのですが、
でも何かの拍子に、
少しでも見えたらと思って......)

息子は、
たまたま談話スペースで寛いでいる、
お年寄りたちを見て、
「おばあちゃんたちって無垢で、
妖精みたいだよね。
僕、オババちゃんが入居したら、
時々ここにやって来るかもしれないな。
何か心が落ち着くんだよね」と、
言っていました。
(妖精ねぇ.........)

さて、
これから、
母の荷物の片づけです。

もう二度と、
戻れないであろう、
母の自室に置いてある、
母の愛した品々を前に、
母の人生を、
静かに、
振り返ってみることにしましょう。


12/24(火)いろいろありましたが.........。

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icon_zamma.jpg12月24日(火)24時10分
第1965回


内心、
泣く泣くではありましたが、
本日、
無事母を介護施設に移送しました。

いろいろありすぎて、
一言では書けませんが、
送り出してくださった病院にも、
感謝・感謝ですし、
迎えてくださったケア施設にも、
感謝するばかりです。

「いろいろ」の中身については、
いつの日か、
willbeメンバーのみなさまには、
ご参考までに、
開示したいと思っております。

いずれにせよ、
母は沢山お食事を沢山いただき、
安らかな寝息を立てて寝入っている姿を見て、
安心しました。

来年は、
後顧の憂えなく、
力一杯仕事をしようと、
母の穏やかな風情を見ながら、
改めて誓いました。

明日は、
4時半起床で、
6時から生島さんのラジオです。
これから、
「下調べ」(もどき)をしようと思います。

12/25(水)少しだけ「肩の荷」が下りました。

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icon_zamma.jpg12月25日(水)27時48分
第1966回


子供を修学旅行に出した時の、
親のような気持ちで、
ケア施設での初日の夜を、
母がどう過ごしたか、
気になっていました。

12/26(木)私は闘っている時の方が、元気みたいです。

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icon_zamma.jpg12月26日(木)29時38分
第1967回


母のことが、
少しホッとした途端、
怒濤のような疲労感が、
押し寄せて来て、
朝起き上がるのが、
ひと苦労だ。

不思議なことに、
少なくともこの1年間、
ほとんど感じてこなかった、
全身の強ばり(鈍痛に近い)も、
再燃して来た感じなのである。

緊張の糸が切れたためか、
本来の「正常な神経」に戻ったのか、
朝起きると、
給湯スイッチのある、
お風呂場まで這って行く始末。

バスタブに
熱めのお湯を満たしてから、
全身を浸すと、
徐々に身体をほぐれてきて、
強ばりがとれ、
手指も自由が利くようになるという、
朝のセレモニーも再開だ。

.........今日は、
我が家のキッチンと居間を使って、
club willbeサイトで、
新年にオープン予定の、
「お福さんのお取り寄せ」の、
調理・撮影が行われるということで、
(スタジオ代が高いので、
経費節減のためもあるのですが、
調理助手のナカヤマが使い慣れているので)
夕べから、
長いこと仕舞われたままになっていた食器類を、
戸棚の奥から出して来たり、
家の中を片付けたりと大忙しだった。

お福さんやスタッフが来る前に、
ナカヤマが下準備をしに来てくれたので、
交代してもらい、
10時半からの、
藤田観光の会議に出席した。

お昼前に会議が終わり、
時計を見ると、
20分ぐらいしか、
時間はなかったのだが、
タクシーを飛ばして、
母の顔を一目見に、
ケア施設に顔を出した。

母は美味しそうに、
お昼ご飯を食べていた。
(食べさせてもらっていた)

一言二言言葉を交わして、
「おかあさん、私仕事なのでまた来るね。
それじゃ、行って来ます!」と、言うと、
「また夜まで?」と、聞くので、
「もうすぐお正月だから、
今、凄く忙しいのよ」と返したら、
大きな声で、
「行ってらっしゃ〜い!」と、
送り出してくれた。

ヘルパーさんと看護師さんが、
「佃煮や梅干が召し上がりたいと、
おっしゃっていますので、
お家からお好きなものを、
お持ちくださっていいですよ。
お食事の時にお出ししますから」と、
言ってくれたので、
次回持参することにした。

会社に帰り、
2、3打ち合わせをしてから、
再び自宅に帰って、
撮影隊のみなさんに挨拶だけをして、
また次の打ち合わせに出かけた。

夜は、
明日私がNHKの仕事で、
仙台に行かなければならないので、
一日繰り上げての忘年会となった。

メニューは、
サントリーの関連会社「まい泉」の、
宴会スペシャル料理。
お寿司、豚カツ、しゃぶしゃぶと、
バラエティーに富んだ内容で、
幹事のナカヤマは、
みんなに「美味しいですね」と、
言われて、
ご満悦だった。

帰宅後、
お正月用の、
仙台の郷土料理「五色豆」の、
大豆の戻しと(魔法瓶に熱湯を入れて、
一晩置くと柔らかくなります)
数の子の塩抜き作業を開始した。

このあと、
年賀状を書こうと思ったのだが、
午前2時を過ぎていたので、
今日はこれまでとした。

あと5日で、
2013年もおしまい。

旧年と新年の狭間に立つと、
いろんなことが終わり、
いろんなことが始まる予感がする。


12/27(金)アンドウ作成の「楽天レポート」

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icon_zamma.jpg12月27日(金)23時46分
第1968回


今しがた、
仙台から戻りました。

宮城県内だけの放送ではありましたが、
一応はNHK総合での2時間の生放送ですし、
大きなテーマが、
「楽天優勝」と、
「東日本大震災の復興」だったので、
いろいろ勉強(?)して行ったのですが、
何一つ役に立たない(電子辞書も不要でした)
NHKにしては珍しく、
軽やかな構成になっていました。

勉強というのが、
「楽天命」のアンドウが、
野球をよく知らない私のために、
「楽天は何故優勝出来たのか」と題しての、
大レポートを作ってくれたので、
必死になって読んで行ったのです。

「2013年の楽天イーグルス、
チームスローガンは『Smart &Spirit 2013 HEAT!』
2013年3月29日に開幕。
新人の則本昂大(のりもと・たかひろ)が、
開幕投手に。
新人投手が開幕戦を投げるのは、
パ・リーグ史上55年ぶり〜」
というようなことから、
「4月がどうで(詳しく書いてある)
5月がどうだった」というような、
1年間の活動歴から、
「2013年の記録」(監督・選手の授賞記録、
シーズン観客動員数が1試合平均1万7793人と、
いうようなものまで)
他にも、
歴代監督の特長と成績、
球団社長から通訳のエピソード
選手一人一人の写真つきプロフィールと、
優勝への貢献度を、
こと細かに記したシートが9枚。
(例・田中将大「ピンチで打たれない」
→ランナーを背負った時の田中の投球は、
「ギアを上げる」と称されるように、
気迫や球威、制球、あらゆる要素が、
明らかに数段上になる。
他にも「打線の援護」とか、
「妻(里田まい)の食生活のサポート」についても、
詳述されていました。
これが全選手について、
「アンドウ分析」がなされているのです。

ためしに、
NHKのスタッフに見せたら、
「凄い資料ですね。うちが欲しいくらいです」と、
言っていました。

スタジオには、
岩手県普代村出身の、
銀次さん(「さん」づけにすると、変ですね)
が来たのですが、
左手の薬指に、
燦然と輝く結婚指輪といい、
話す内容といい、
我が息子と1歳しか違わないなんて思えないほど、
しっかりしていました。
(今年6月に生まれた、
息子さんの名が「虎次郎」というのも、
いいですよね)

.........というわけで、
これまでは嶋基宏がいいかなと、
思っていた私でしたが、
銀次のファンになってしまいました。

😷どうやら新幹線の中で、
風邪を引いたようで、
(くしゃみが11回続けて出ました)
明日の「日刊スポーツ映画大賞」の、
授賞式に備えて、
寝むことにします。
(年賀状は明日の早朝書くことにします)

12/28(土)まだまだ「仕事納め」とはいきません。

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icon_zamma.jpg12月28日(土)30時54分
第1969回


「風邪かな」と、思った時の、
対応が早かったせいか、
「ここで気を緩めてはいけない」と、
全身の(全脳の)集中力を、
総動員させたことが、
功を奏したのか、
風邪は早々に、
退散してくれたようだ。
(私の隙をつこうと、
どこかに身を潜めているかも、
しれないので、
監視と身体管理を怠っては、
いけないと思いますが)



12/29(日)女が粧うことを忘れる時。

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icon_zamma.jpg12月29日(日)29時33分
第1970回


今年の、
実質的な「仕事納め」は、
友人の風吹ジュンさんが出ている、
下北沢本多劇場で上演中の、
「夜更かしの女たち」の、
舞台鑑賞だった。

12/30(月)記憶の箱の中身。

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icon_zamma.jpg12月30日(月)24時22分
第1971回


今日は、
ナカヤマと築地市場に、
行く予定だったのですが、
ナカヤマのところも、
大腿骨の手術をしたお母さんが、
リハビリ病院から4日間だけ、
家に帰るというので、
今朝実家に向かいました。
私も、
ズシリとした疲労感が抜けず、
海鮮丼より、
マッサージの方が魅力的で、
そちらに行ってしまいました。

12/31(火)今年もありがとうございました。

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icon_zamma.jpg12月31日(火)23時47分
第1972回


club willbeメンバーのみなさま、
2013年もありがとうございました。
皆さんがいてくださったお蔭で、
今年もここまで来ることが出来ました。

特に、
今年は私的なことですのに、
母のことを書きすぎた私を、
大きな心で受け止めていただいたご恩、
忘れません。

いずれ、
私たちも辿る道ですので、
母を通して知ったこと、
感じたことは、
必ずや、
club willbeの為に活かします。

今日は、
「上野薮そば」で、
年越し蕎麦を買い、
愛猫ジェリクルのお墓参り、
父のお墓参りを済ませてから、
母のところに行きました。

昼食に出た、
年越し蕎麦は、
細かく切って貰っても、
余りうまく飲み込めなかったらしく、
本人も心残りだったようでしたが、
もしかしたら、
蕎麦はおろか、
点滴だけだったかもしれないのですから、
少しでもいただけただけで、
家族としては大感激でした。

今夜は、
福田ふくさんからいただいた蟹で、
蟹鍋とお寿司をメインに、
親しい人たちと年越しの食事をしました。

まもなく、
鵜飼良平先生のお店のお蕎麦で、
年越し蕎麦が出来上がります。

✨club willbeメンバーのみなさま、
来年も、
いえ、来年は、
今年以上に誠心誠意、
心を尽くして、
club willbeを運営して参りますので、
どうぞ、
よろしくお願い致します。

追伸)
最近、コメントがないので、
心配になって、
「アラ〜古希」さんに電話をしました。
実は「アラ〜古希」さんは、
2ヶ月前に足の手術をなさって、
今も入院中でした。

病院なので、
PCを持って来られなかったそうですが、
club willbeのメンバーのみなさんからも、
お電話をいただいているそうで、
私たちの動向もよくご存知でした。

春が来る頃には、
復帰出来るとのことですが、
みなさまにくれぐれも、
よろしくとのことでした。

.........ことほどさように、
これからも、
いろんなことがあると思います。
せっかくお近づきになったのですから、
これからも信じ合い、
助け合っていきましょう。

㊗それでは、
willbeメンバーのみならず、
皆々さまにとって、
2014年が素晴らしい年になりますように、
心よりお祈りしています。

1/1(水)未経験領域の楽しみ。

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icon_zamma.jpg1月1日(水)23時51分
第1973回


明けましておめでとうございます!
昨日の大晦日は、
私の関係者が3人、
息子の関係者が2人。
総勢7人での年越しとなりました。

蟹鍋も
お蕎麦も好評でした。
(私の腕前ではなく、
食材の良さです)

近くの神社に5人で出かけ、
お参りをしてきました。

今朝はお雑煮を作り、
おせちを出し、
お屠蘇は苦手なので、
母が好きだった金粉入りの日本酒で、
お祝いの盃をあげました。

お昼のお酒だったからか、
何だか一日中、
眠くて、
午後母のところに行った以外は、
ボンヤリしていました。

母は、
おせち料理を全部いただき、
(お餅が大好きな母なのですが、
去年のお正月は、
誤嚥が心配で、
お餅を5ミリ角に切って、
お雑煮に入れたのですが、
今は味も食感もお餅そっくりで、
嚥下に支障をきたさない、
介護食材があるそうで、
母はそれをいただいたようです)
おやつの紅白饅頭を平らげ、
満腹になったことで、
トロトロしていましたので、
小一時間で辞去しました。

ところで、
お正月のケア施設は、
ご家族が来ている方も入れば、
誰一人訪れる人がいない方もいます。

母の後ろに、
やはり母と同じように、
車椅子に乗って、
トロトロ眠っている方に、
娘さんらしき人が、
ぴったり寄り添うようにして、
目をつぶっている姿は、
愛情あふれる光景でしたが、
母の右後ろの方も、
真後ろの方も、
訪れる人はいないようでした。

スタッフのみなさんは、
気づかないような(自然な)感じで、
さりげない言葉をかけたり、
その方の興味のある話題に注意を向けたりと、
それが「やるべきこと」と、
訓練されているにせよ、
頭が下がります。

中には、
状況を把握出来ていない方も、
いらっしゃるので、
ご家族も、
訪れ甲斐がないのかもしれませんし、
あるいはご家族にも、
どうしてもいらっしゃれない、
理由があるのだと、
思いますが、
まだ日が浅いということもあって、
毎日訪れている私としては、
これ見よがしに、
母に面会しているように、
思われないためには、
どう振る舞えばいいのか、
考えざるを得ません。

2013年から、
2014年にまたがっての、
この1週間、
母のお蔭で、
今まで知り得なかった人たちと、
沢山出会いましたし、
未経験のドラマにも
遭遇しました。

私にとっては、
これもまた、
人生の新しい基軸にもなる得る、
貴重な経験になるような気がしています。

1/2(木)焦らず、行こう!

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icon_zamma.jpg1月2日(木)26時26分
第1974回


「今年は〜をしよう」と、
考えていたことが、
一つも出来ていない。
結局は、
克己心が足りない(無い)
せいだと思う。

でも、
焦らないでおこう。
出来ない自分を、
責め過ぎるのもやめよう。
まだ2014年は、
2日しか、
経っていないのだから。

持っている物や心(気持ち)を、
「出し惜しみしない」と決めたことは、
まぁまぁうまくいっている。
ただし、
時間だけは簡単には手放さず、
丁寧に扱おうと思っている。

.........などと、
考えていたところに、
天野伊佐子さんが訪ねて来た。
(故・天野祐吉さんの奥さまです)
母に、
だっこしたら気持ちがいい、
モケモケ・フワフワの、
猫のぬいぐるみを持って来てくれた。

喪中の人に、
出すのは妙な気もしたが、
おせち料理のお重を並べ、
「明けましておめでとう」と、
新年の挨拶もした。

普段は、
お酒を飲まない伊佐子さんが、
金粉入りの祝い酒も飲んでくれて、
「今頃ユウちゃんは、
『伊佐子、もうそろそろ楽しみなさい』と、
笑っているような気がします」と、
明るい声で、
言ってくれたのも嬉しかった。

13時から18時過ぎまで、
ゆっくり話した。
途中から、
実家から戻ったナカヤマも合流して、
さらにいろんな話をした。

今年の春は、
「伊佐子さんも私も''おひとりさま¨ね。
女同士、仲良くしましょうね」と、
言い合っていたら、
ナカヤマが極めて冷静に、
「私も精神的にはずっとおひとりさまですよ」と、
言い放って、
新年初の女子会はお開きとなった。


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