12月14日(土)26時44分
第1955回
私は伺えなかったのですが、
本日「浮き球△ボール首都圏リーグ」の、
納会があり、
我がclub willbe「南青山ぼちぼち団」から、
女性の「首位打者賞」に、
コシバさんが選ばれ、
表彰を受けたそうです。
また「打率ベスト5」の中に、
女性の4位にツルタさん、
男性4位にスギモトさんが選ばれたと、
納会に参加していたヒロモリより、
喜びの報告がありました。
昨年もフジタさんが表彰されましたし、
選手の人数はギリギリなのに、
大したものです。
「🏆おめでとうございます!」
明日は、
「南青山ぼちぼち団」の面々が、
自主的に開催する、
懇親ポーリング大会が、
品川プリンスホテルのボウリング場で、
開催されるとも聞いています。
事務局主導ではなく、
メンバーが自主的に練習をしたり、
懇親会を開いてくれたり、
大人のクラブの、
「あるべき姿」かもしれません。
我が家には、
母のお見舞いにと、
久しぶりにニシダさんが来てくれて、
今夜は泊まりです。
もう一人、
息子が1歳の時、
たまたまシッターさんを公募したことがあって、
応募して来たのが、
当時20歳になったかならないかの、
ユミちゃんという女の子で、
今夜はそのユミちゃんも泊まっています。
ユミちゃんはお父さんが、
若くして亡くなったこともあって、
大学進学を諦めて、
語学学校に通っていたのですが、
何とか自分の力でアメリカに行きたくて、
アルバイトを探していて、
我が家のシッターさんになったのでした。
その後単身でニューヨークに渡り、
私の友人の会社や、
マンハッタンの紀伊国屋書店などで働いて、
とうとうニューヨーク市立大学の、
シアター&ムービー学科を卒業したという、
努力の人です。
しばらくNYの映像制作会社などで、
仕事をしていたのですが、
7年前に帰国し、
その後はエイベックスで働いていました。
我が家には1年しかいなかったのですが、
その後の23年間、
音信が途絶えたことはなく、
今ではニシダさん同様、
準身内です。
昨年エイベックスを辞めて、
この1年は、
私の知人の伝手で、
スイス在住の20世紀を代表する、
具象画家・バルテュスの夫人、
節子・クロソフスカ・ド・ローラさんに請われて、
スイスの館(50も部屋のあるスイス最古の木造建築)で、
節子さんや節子さんの娘さんの、
手伝いをしていたのです。
母が倒れた頃と、
相前後して帰国し、
茨城の実家にいたのですが、
来春からは東京で、
新しい仕事を始めるというので、
その下準備を兼ねて、
母が入院して、
淋しくなった我が家に、
寄宿してくれているのです。
私が病院へ行けない時は、
母に会いに行ってくれるのですが、
母もユミちゃんが大好きで、
「あなたはいつもニコニコしているのねぇ」と、
まるで目が見えるかのような、
反応をするのです。
(本当にユミちやんはいつもにこやかなのですが)
つい先日も、
「あなたにピッタリの人がいるのよ。
今はまだ言えないけれど、
私は、二人が結婚したらいいなと思っているの。
あなたは結婚はしたくないの?」と、
母が問うので、
「そんなことはありません。
いい方がいたら結婚もしてみたいです。
その方はどんな方なんですか?」と、
ユミちゃんが尋ねたところ、
「私はいいと思うんだけど.........。
あなたは気に入るかしら。
.........じゃぁ、思い切って言いますね。
その相手というのは......うちの息子なのよ」
息子、つまり私の弟は既婚者なので、
「息子さんはもう結婚していらっしゃいますよ」と、
ユミちやんが笑いながら言うと、
「あらっ、そうだっかしら?
あの子はまだ結婚していないと思っていたけど、
いつの間にしたのかしら?」と、
母は澄ました顔で言ったのだそうです。
(弟のことは−35歳ぐらいに、
ユミちゃんのことも−20歳ぐらいに、
捉えているようです)
ニシダさんとユミちゃんの他にも、
息子が友達を2人連れて来て、
息子の部屋で3人で寝ています。
このところ帰宅すると、
家の中の空気がひんやりしていて、
人気のなさを、
淋しく感じていたのですが、
今夜は.........もう朝ですが、
家の中に人の気配が感じられて、
よく眠れそうです。
(この家に移転してきてからも、
段ボールに入ったままになっている、
昔の写真を整理していたら、
こんな時間になってしまいました)