3月15日(火)24時18分
20時すぎ、
沖縄から帰ってきた。
沖縄でもニュース映像に見入る人は多かったが、
「距離」とは凄いもので、
ニュースを受け止める、
リアリティーはかなり違っているような気がした。
空港も、町も、
何ら変わったところはなく、
私が宿泊したホテルには、
リゾートライフを楽しもうという観光客が、
沢山訪れていた。
不思議なことだが、
そうした光景は、
癇に障るどころか、
ある種の「救い」にもなり、
私を少しずつ、
平常心に戻してくれたような気がする。
......それでも、
私が仕事でお会いした糸満市の方々は、
糸満が沖縄戦の最激戦地だった(亡くなった方が10万人もいた)
ということも影響してか、
生命の尊さを身にしみて感じている人が多く、
夜の会食の席でも、
今回の地震の犠牲になった方々に1分間の黙祷をし、
乾杯のかわりに、
一人でも多くの方が生還するよう祈りを捧げてもくれた。
何をしに糸満市まで行ったかは、
今、ここで話すべき話ではないような気がするので、
後日、改めてお話しするつもりだが、
平和祈念公園やひめゆりの塔(いずれも糸満市にある)
を見ながらの沖縄行は、
時が時だけに、
生命について、
いろいろなことを感じさせてくれた。
帰宅して、
留守中にいただいたメールに返信をしていたら、
今度は静岡県富士宮市で震度6強の地震。
富士宮市は富士宮焼きそばでも有名な、
富士山の裾野に位置する町で、
私が青春前期を過ごした富士市の隣り町。
ナカヤマの実家もあるので、
一瞬驚いたが、
今「揺れは大きかったが、全員無事」との報が入った。
東京に戻った途端、
あっという間に「沖縄モード」は消え去り、
「緊張モード」にスイッチが切り替わった。